2013年06月05日

Edge + img入替 追記

 以前に書いた、Adobe Edge Animateでの画像入れ替えスクリプトだが、より楽な方法を見つけたので記事を起こしておく。

edge_01_01.png Edge内のライブラリを使えば、実はかなり単純な話であった。例えば、右の「pic」をステージに配置したとして(普通に物を配置するとデフォルトでは「div」になるので、配置したオブジェクトの名前を入れる覧のすぐ右で「div」から「img」に変更する必要があるのは前述の通り)、以下のようなスクリプトで画像が入れ替えられる。
sym.$("pic").attr("src", 「ファイル名」); そりゃ、それっぽい関数があるんじゃないかなとは思っていたが、見つけてみれば簡単な話であったわけだ。ただ…Edgeで持ってる関数とJQueryと純粋なjavascriptとで、それぞれ微妙にHTMLへのアクセス方法が違っていて、知れば知るほど難解になって行く気がしてならない。Edgeはもう少し日本語の資料が出揃うまでは、色々と厳しい感じかなぁ…。
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2013年05月14日

リサイクル?

 お惣菜のトレーを洗いつつ、ふと気になる。食品の入っていたトレーなどはエコロジーの観点から軽く洗った後にリサイクルに回せというのが、小生の住む横浜市の資源循環局からのお達しである。でも、それって本当にエコロジーになるのだろうかと、ふと気になった。具体的には、まさに今このトレーを洗っている水道水。これにかかるエネルギー量って、リサイクルと釣り合うのだろうかというのが、小生の疑問である。

 こういう事は、数値データさえあれば、あとは計算して比較するだけの話である。気になってみたら調べるべきであろう。

 まず、上水道の二酸化炭素排出量。これは、直接的な数字を見つけられなかったため、段階的に計算する。まず、水を川から汲んで、ろ過して、薬剤を入れて、吸水ポンプを通して…とやって上水道が我々の手元に届くまでに、だいたい1リットルあたり3.1kcal前後のエネルギーを消費するというデータを見かけた。薬品とか化学的な作用で使用される物もエネルギーに換算して含まれているようだが、とりあえずこのカロリーを全部電力に換算するとして、1kcal = 1.163ワット時だから、3.6キロワット時という計算となる。

 電力から二酸化炭素の排出量への変換というのは、キロワット時に0.55をかけると二酸化炭素の排出量(kg)になるそうな。大雑把に、水道水1リットルを消費する時点で、二酸化炭素を2kgくらい排出しているという換算になる。

 さて、水道の水で洗浄するということは、同時に下水道も使用するということになる。何でも下水道に使用されるエネルギーは、上水道を確実に上回るそうな。まぁ、そりゃそうだろう。上水道より余計な物がいっぱい混ざっている物を運んで、それを処理してというステップを踏むのだから当然だ。

 とりあえず、下水の分は少なめに見積もっても上水道と同等かそれ以上。上下水道合わせて、まぁ上水道の2倍〜2.5倍としてみようか。と、これだけで水1リットルあたり4〜5kgの二酸化炭素を排出することになる。200〜250ccの水でトレー1枚を洗ったとして(これは軽く流した程度の水の量であり、相当少なく見積もっている量でもあるが)、だいたい食品トレー1枚を水道水で洗うのに1kg程度の二酸化炭素を排出するという計算だろうか。

 では、食品トレーをリサイクルしたとして、浮く二酸化炭素量はどの程度だろうか。環境省の資料によると、食品トレー1kg(303枚)あたり、二酸化炭素は4.95kg削減出来るそうな。

 おろ…待て。ちょっと待て。いや、かなり待て。何かが変だ。嫌な予感しかしなくなってきたぞ。…とりあえず、落ち着け。こういう時は、素数を…じゃなくて、算出した数字の『桁』を数えて落ち着くんだ。うん。桁を数えるためには、いったん状況を整理してみよう。

 食品トレーをリサイクルのために水道水で洗う。これには「1枚あたり」「1kg」の二酸化炭素を「排出」する。

 食品トレーをリサイクルすると、「1kg(303枚)あたり」「4.95kg」の二酸化炭素が「削減」される。

 えっと…計算するまでもなく、事態の恐ろしさが垣間見えてしまった気がするが…気を強く持って、計算してみようか。ぱっと大雑把に概算するだけでも…約300枚の食品トレーを一生懸命リサイクルして、せっかく「節約」した分の二酸化炭素というのは、その過程で生じる「トレーを水道水で洗う」という行為たった5枚でチャラになってしまうという事か。文字通り、桁が違う「無駄」であると言えよう。

 他にも、懸念事項があったりはする。リサイクルという単語が大手を振って世にはびこるようになってから、大規模かつ切実なレベルの水不足という物は、幸いな事にそれほど耳にしていない。だが、例えば給水車が出動するようなレベルでの水不足があった場合、どうだろう。そのような状況でトレーを水で流してリサイクル、などと悠長なことを言ってられるであろうかというと、当然ながら「否」としか言い様がない。ならば、そこまで行かなくとも水不足であり節水を呼びかけられている状況であれば、どうだろう。市町村の水道局は節水を呼びかけ、同時に資源系やゴミ系の部署からはリサイクルを呼びかけられるわけであろうか。そうなったらこう、かなり矛盾する話だとしか言い様がないわけで…正直、普通に暮らしている身としては困る事になるだろう。

 と、悪いことばかり書いても不公平か。他方、別の見方も出来るかもしれない。というのも、同じ環境省のデータによると、食品トレー1kgのリサイクルで、原油換算で1.14リットルの消費削減が出来るそうな。つまり、1kg = 303枚分の水道水を消費して、水道分の二酸化炭素303kgを排出し、リサイクル分の二酸化炭素4.95kgをそこから削減した結果として、1.14リットルの原油を得る、という計算も出来よう。

 いや…これも、結局悪い話にしかならないのか。電力1キロワット時は、原油換算で2.3〜2.4リットル程度と言われている。高効率で考えて2.3リットルで計算したとしても、1.14リットルの原油は、電力換算だと2.6キロワット時にしかならない。先ほどの計算で水1リットル(トレー4〜5枚分)あたりの電力が3.6キロワット時であると換算した。これも先ほどと同様、計算するのも嫌になるレベルで効率が悪いのは明らかである。ぶっちゃけ二桁違う。石油の値段があと100倍くらいにでもならないとペイしないとか、そんな数字なのではなかろうか。

 エコだとかリサイクルだとか、いったい何なのだろうと切実に考えさせられてしまう計算であった。正直、思いつかない方が幸せだったと後悔するレベルであり、何とも後味の悪い記事となってしまった。小生の計算違いが二桁くらいあったのであれば、と祈るばかりである。
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2013年02月27日

要出典?

 ネットにて、ある新聞記事を読んでいてふと思った。あ、この文章ってWikipediaだったら「要出典」 タグがつくんじゃなかろうか…と。

 まぁ、こんな事を思ってしまう時点でだいぶネットという世界に毒されている小生ではある。そして、よくWikipediaは情報源としての信頼性に欠けるという意見も聞く。実際、「中立性」や「正確性」については誰でも編集ができる時点でWikipediaは劣るというのは自然な考え方である。だが、その「中立性」や「正確性」を『検証する』という点においては、世に言う「信頼出来る情報ソース」と比してもWikipediaは勝ることはあっても劣ることはないのではなかろうか。

 そう思ってしまったら、少しは調べてみないと気がすまないのが小生の性分である。とりあえず、Wikipediaにあるガイドラインを流し読み。ふむ、検証が可能なようにという目線で見れば、このガイドラインは(確実に実行されているのであれば)確かに有用なように思える。

 ならば、とそのガイドラインが頭に残っている状態で、とりあえずネットニュースの記事を読んでみた。

 むぅ。いかん。これ、ほぼ全文に「要出典」がつきそうな勢いだ。というか、海外メディアの『〇〇によると』的な表記以外でこれがつかないのは、記事の最後あたり蛇足として載っている記者の感想的な部分くらいだろう。まぁ、その部分は間違いなく「独自研究」のタグがついてしまうわけだが。

 いや、ほぼリアルタイムの記事に出展なんざつけようがないのも事実だろう。それはそれで、仕方ないのかもしれない。また、記事の検証性についての考え方が根本的に違う…というか、検証される事を全く考えていない世界だから、同じ土俵に乗せるというのは酷というものであろう。だが、小生が書いているこのページのような、それこそ独自研究レベルで個人の「考え方」を発表する場であれば検証性など論ずる必要もないだろうが、ニュースなどのような物はもうちょっと検証性を求められてもいいのではなかろうかという気もする。というか、ここまで出展となる物が明らかにされていないということは、もしかしたら記事についての検証される可能性を意図的に消しているのではないかとすら勘ぐりたくなってしまうくらいである。まぁ、ぶっちゃけ「誰2」タグや「独自研究」タグがついてしまうような、言葉を濁した内容や不明確な言葉、明らかに主観的な文言や内容が内容が記事中に散見されるあたり、この手のニュースとて検証性という意味においては小生の書き散らす駄文と大差ないのかもしれない。

 何はともあれ、この目線は面白いかもしれない。少なくとも、何かを疑う時にこの「要出典」の考え方は、非常に有効である気がしてきた。あるいは、何かが「疑われずにすむため」の検証にも使えるかもしれない。

 で…調子に乗ってネットニュースを見ながら「要出典」と頭のなかで繰り返していたら、何かを思い出した。あぁ…そうだ。あれだ。アンサイクロペディアの「要出典」だ。現状の新聞記事って、たぶんあのページと同じくらいの「要出典」タグがつくんじゃないかなぁ。
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2013年02月09日

Haxe + NME 3回目 ハチの巣

 前回の記事にて、ヘクスマップの描画アルゴリズムを考えてみた。では、これをNMEで実装したらどうなるか、と考えてみた。そんなに難しい話ではないはずである。

HexAlgo02.png

 まずは、青線のようなマス目を想定し、縦横の座標を足して偶数になる時に「中心」を描画する。あとは、上の図の A-C、C-D、D-F の直線を3本引けば良い。六角形のどっか3本を引いておけば、端っこ以外はきちんと六角形になるはずである。

 問題となるのは、それぞれの寸法比率であろうか。六角形の対角線(外接円の直径)に対して、青線の縦横の比率とか、それに対してのA、C、D、Fの位置関係を考えなければならない。また、B、Eは、それぞれA-C、D-Fの中点となるはずである。

 とりあえず、縦方向は比較的気楽に考えられそうだ。というのも、青線の縦の長さが決まってしまえば、中心から見てCやDの縦方向の位置は、青線の縦の長さと同じになるからである。ぶっちゃけ考える必要なんて無い。B、Eの位置も、この縦の長さの半分だ。問題はない。

 じゃぁ、横方向。これはというと…微妙に面倒である。どうやれば解けるか。これを解くためには、ある物を思い出す必要がある。

 その「ある物」とは、思春期…具体的には中学生くらいの頃、誰にでも覚えがある物。幾度と無く苦悩し、時に間違え、なかなかうまく行かない体験をし、それ故に時としてうまくいった時には喜び、でもその全てが大人たちの手のひらの上でしかなく、そして大人になる頃にはほとんどの人が忘れ去ってしまった…そんな苦い思い出のつきまとう物である。

 つまりは、というと…
「三平方の定理」
 …である。

 えぇ、やりましたとも。何年ぶりだか何十年ぶりだか知らないけれど、大人気もなく紙に下手な六角形を描いて、補助線と称して三角形だのなんだのを描き入れて、やっとのことで計算しましたともさ。微妙に間違ってると恥ずかしいので、途中計算は省略するとして、結論だけ。

 六角形の対角線の長さを「1」とすると、青線の横 = 3 / 4。

 以下、青線の横の長さをLとすると
青線の縦 = L × √3 / 3
点AのX座標 = 中心のX座標 - L × 5 / 8
点AのX座標 = 中心のX座標 - L × 4 / 8 = 中心のX座標 - L / 2
点CのX座標 = 中心のX座標 - L × 3 / 8
点DのX座標 = 中心のX座標 + L × 3 / 8
点EのX座標 = 中心のX座標 + L × 4 / 8 = 中心のX座標 + L / 2
点FのX座標 = 中心のX座標 + L × 5 / 8
となる。

 ふむ。青線の長さを8の倍数にさえしておけば、横方向は基本的に整数で済む感じなので、ヘックスごとにビットマップを貼り付けても大丈夫な雰囲気かな。縦方向は小数になるのは仕方ないので、若干の誤差がでるけれど整数に丸めてしまうのがいいと思われる。

 そんなわけで、早速ガリガリとコードを書いてみた。線を3本しか描かない方法だと、上下左右の端の部分がきっちり六角形にならない。ので、端面処理は…ぶっちゃけ面倒なので省略して、真ん中の美味しい部分だけビットマップに描画している。


package ;
import nme.display.Bitmap;
import nme.display.BitmapData;
import nme.display.Shape;
import nme.display.Sprite;
import nme.events.MouseEvent;

/**
* ...
* @author kani-miso
*/

class HexBase extends Sprite
{
// 定数
var mapMax = 21; // マップの縦横最大値
var hexSize = 40; // ヘックスの直径
// ヘックスの縦横サイズ(全体で何度も使う)
var xSize:Int;
var ySize:Int;
// マウス位置のヘックスを示すためのカーソル
var cursor:Shape;
// 描画用のShape
var shape:Shape;
// 描画用のbitmapセット
var bitmapData:BitmapData;
var bitmap:Bitmap;

public function new()
{
super();
// Hexの縦幅、横幅の計算
xSize = Std.int(1 + hexSize * 3 / 4 / 8) * 8; // 8の倍数にする
ySize = Std.int(xSize / 3 * Math.sqrt(3));

// 表示位置を少しずらす
x = 40;
y = 40;

// 描画用のShapeを準備
shape = new Shape();
//addChild(shape);

// 背景色
shape.graphics.beginFill(0xEEFFEE);
shape.graphics.drawRect(0, 0, xSize * (mapMax - 1), ySize * (mapMax - 1) );
shape.graphics.endFill();

// 描画
drawHex(); // 六角形の描画
drawLine(); // 青マスの描画

// bitmapに描画
bitmapData = new BitmapData(xSize * (mapMax - 1), ySize * (mapMax - 1));
bitmapData.draw(shape);
bitmap = new Bitmap(bitmapData);
addChild(bitmap);

// カーソルを準備してマウスが動いたら動かす
initCursor();
addEventListener(MouseEvent.MOUSE_MOVE, onMouseMove);
}

private function drawHex():Void
{
// 線の色
shape.graphics.lineStyle(1, 0xFF0000);
var x:Int;
var y:Int;
var x3:Int = 3 * xSize >> 3;
var x5:Int = 5 * xSize >> 3;
for (x in 0 ... mapMax) {
// ループ内でのHexの中心点のX座標
var calcX:Int = x * xSize;
// ループ内でのHexの左上線、上線、右上線の端点X座標計算
var linePoint1:Int = calcX - x5;
var linePoint2:Int = calcX - x3;
var linePoint3:Int = calcX + x3;
var linePoint4:Int = calcX + x5;

for (y in 0 ... mapMax) {
if ((x + y) % 2 == 0) {
// ループ内でのY座標と、1個前のY座標を計算
var calcY:Float = y * ySize;
var calcBeforY:Float = (y - 1) * ySize;

// 中心円を描画
shape.graphics.drawCircle(calcX, calcY, 4);

// Hexの上側の線を描画
shape.graphics.moveTo(linePoint1, calcY);
shape.graphics.lineTo(linePoint2, calcBeforY);
shape.graphics.lineTo(linePoint3, calcBeforY);
shape.graphics.lineTo(linePoint4, calcY);
}
}
}
}

private function drawLine():Void
{
// 縦幅、横幅の計算
var xMax:Int = xSize * mapMax;
var yMax:Int = ySize * mapMax;
var calcX:Int;
var calcY:Int;

// 線の色
shape.graphics.lineStyle(1, 0x0000FF, 0.6);

// 描画(縦横の最大値が異なるならループを2回に分ける
var i:Int;
for (i in 0 ... mapMax) {
// 縦線
calcX = i * xSize + (xSize >> 1);
shape.graphics.moveTo(calcX, 0);
shape.graphics.lineTo(calcX, yMax);
// 横線
calcY = i * ySize + (ySize >> 1);
shape.graphics.moveTo(0, calcY);
shape.graphics.lineTo(xMax, calcY);
}

}

private function initCursor():Void
{
// Shapeを初期化して、適当なサイズの丸を中心に描画
cursor = new Shape();
cursor.graphics.lineStyle(2, 0x004400, 0.7);
cursor.graphics.drawCircle(0, 0, 8);
addChild(cursor);
}

private function onMouseMove(evt:MouseEvent):Void
{
// 青マス上での座標を得る
var x:Int = Std.int((evt.localX + xSize / 2 ) / xSize);
var y:Int = Std.int((evt.localY + ySize / 2 ) / ySize);
// ヘックス上で有効な値ならカーソルを動かす
cursor.x = x * xSize;
if ((x + y) % 2 == 0) {
cursor.y = y * ySize;
} else {
var mod:Int = Std.int(evt.localY + ySize / 2) % Std.int(ySize) - Std.int(ySize / 2);
if (mod > 0 ) {
cursor.y = (y + 1) * ySize;
} else {
cursor.y = (y - 1) * ySize;
}
}
}

}


 AS3と違って気をつける点はというと、今のところ…
  • for文が「 for ( i in 0 ... 100)」みたな書き方になる
  • 浮動小数から整数への型キャストが必須 「Std.int(小数値)」
  • HTML5の出力時、Sprite型からビットマップへdrawが出来ない。ShapeからならOK。
といったあたりであろうか。型キャストがプチ面倒なので、8で割る部分はビットシフト(「>> 3」)を使ってしまった。まぁ、たぶんキャストするより速度的にも早いんじゃないかな、と信じての使用である。

 さぁ…次は、何をしようか。マップの描画か、デバッグ用の数字の表示か、そんな辺りから始めてみようかな。
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2013年01月19日

Haxe + NME 2回目 動け!

 HTML5で多少覆ったものの、本来HTMLは静止したコンテンツを表示するのに特化した物である。というか、当初のHTMLは今みたいな綺羅びやかな物を表示するための物でも、表示出来る物でもなかったわけであり、おかげで表組などで無理やり実装していた時期とかあったなぁ、などと懐古してみたりもする。

 他方、当時からのweb上で動きのあるコンテンツ向けのライブラリと言うなら、やはりFlashに軍配が上がるであろう。Flashも言語にActionScript2(AC2)を使用していた時代は、色々と表現方法に無理があったように思えるが、それもActionScript3(AC3)になってからは大分改善され、他の開発言語とさほど遜色なくいじれる言語となったように思われる。

 そして、今回いじっている Haxe + NME の環境はというと、そのAS3の流れを多分に汲んでいるように思われる。リファレンスを見れば見るほどAS3の画面管理の系統に従っているし、ぶっちゃけ表示オブジェクトの管理用クラスに「ムービークリップ」なんて物がある時点で、Flash系と断言してしまって良いだろうという大雑把な見方をしても良いと思われる。

 例によって前置きが長くなったか。何が言いたいかというと、Haxe + NME で何か作るなら、Flashのように動いてないとダメだよね的な話である。

 さてどうするか。二次元上で「動く」という事を最小限実現するならば、「一定時間ごとに」「座標を連続的に変化」させるだけである。

 座標の変化に関しては、先のようにSpriteクラスを派生させて、適当に四角でも描画して、外から座標をいじってやればいい、というところか。まぁ、1個だけ動かすならそれでいいのかもしれないけど、複数あると案外管理が面倒になる。故に、この手のルーチンは派生させたクラス内に置くのが定石である。

 問題は、この「一定時間ごとに」である。従来のFlashを使ってた人なら「EnterFrame」関連でどうにでもなるだろう、と思うだろう。AS3それが何かと問われれば画面更新のタイミングで呼ばれるルーチンだ。で…それがあったのは、Flashだったからである。HTML5のjavascriptベースだとホントにそれがあるのか。速度的にはどうなのか。その辺が心配である。というわけで、まずは最小限の実装でテスト。

 やることは以下のとおり。

 一、「プロジェクト」と書いてあるウィンドウ(表示-プロジェクトマネージャーで表示される)の、「src」で右クリック、「新規作成」の「New Class」で新しいクラスを作る。

 二、新しいクラスに、初期設定として適当な四角を描画させる

 三、新しいクラスに、座標を移動させるルーチンを設定する

 四、新しいクラスに、フレーム表示されるごとに呼ばれる関数として移動ルーチンを登録する

 五、Main.hxで、新しいクラスを呼び出す

 まぁ、こんなもんか。ぶっちゃけ「一」「二」「五」は前回のがそのまま使えるな。というわけで、「三」から実装してみよう。話はかな〜り簡単であり、継承元のSpriteくらすが持つ変数「x」とか「y」をいじってやれば良いだけである。つまり…

public function moveSelf():Void
{
x ++;
}

 いや…これは簡単すぎるか。せめて端に行ったら戻ってこよう。

public function moveSelf():Void
{
x ++;
if (x > stage.stageWidth) x = -width;
}


 続いて、「四」。以前の「new」部分に1行だけ追加。

public function new()
{
super();
graphics.beginFill(0x888888);
graphics.drawRect(20, 20, 60, 60);
graphics.endFill();
addEventListener(Event.ENTER_FRAME, moveSelf);
}

 「event.ENTER_FRAME」は、「nme.events.Event.ENTER_FRAME」と打とうとすると自動的にこうなってくれる。FlashDevelopって便利。

 ただ、このままでは先ほどの移動ルーチンが自動呼び出しを受け付けてくれない。故に、ちょっといじる必要がある。

public function moveSelf(evt:Event):Void
{
x ++;
if (x > stage.stageWidth) x = -width;
}

 「addEventListener」で指定する関数は「Event」型の入力がないとエラーになってしまう。まぁ、現時点では深く考えずに「()」の部分を「(evt:Event)」と変更して、変数の指定だけしておこうか。

 うん。動いた動いた。大丈夫だ。

 ただ、問題は速度。ちょっと試してみたところ、小生の環境で100個くらいのオブジェクトだと、Flashで吐き出す分にはギリギリ何とかなってる感じだが、HTMLベースでは重い。ここは少々工夫が必要になってくるところかもしれないかな。
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2012年10月04日

つまらない事を望む

 「つまらない」という単語がある。語の正確な解釈は辞書とかにお任せするとして、一般に面白くないといった意味合いで使われる単語である。では、この対義語は何であろうか、と考えた時、単純に字面だけで見ると「詰まる」であろうか、という事になる。案外これは正解に近いらしく、「詰まるところ」の「詰まる」、要は最終的に行き着いた状態が「詰まる」であり、その行き着いた状態にならないが故に「詰まらない」という感じの由来だそうな。

 で…だ。話は変わって、詰まったのである。何がって、拙宅の洗濯機がである。この場合の「詰まる」は、行き着いた何かというような格好の良いものではなく、それこそ物理的に、フィジカルに、ホコリがみっちりと、もういっぱいいっぱいになったという意味での「詰まる」である。

 元より乾燥機能が詰まりやすいといった話は、ちらほらネットで見かける機種ではあった。昨日あたりから乾燥がやたらと遅くなり、昨夜に仕掛けた乾燥はほとんど乾かず、今朝仕掛けた物を仕事後に見たときは、完全に湿ったままであった。うん、故障だ。基本的に、この状態は故障と言っていい。たとえその原因がホコリが詰まっただけだとしても、症状的には明らかに故障だ。いや、もしかするとホコリ詰まり以外の原因…例えば加熱系の故障だとかいう、本当に故障だとしても詰まるところは故障である。あぁ、もう、書いてて自分でもわかんなくなってきたぞ。

 ともかく、だ。ネットで言われる通りに詰まっているだけなら、小生でも何とかなる。というか、早急に何とかしないことには、明日着ていく服がない。幸いなことに、分解して掃除するページもいくつか見かける。そして実は、検索で一番上に出てくるページの箇所以外にも詰まる場所があるらしいのを発見。ただ…よくある誰かの質問に別の誰かが答える系のページだと、どういうわけか最初に引っかかるページの内容を書いている人ばかりであり…いいのかこれで、とか思ってしまう次第でもある。

 で、その二番目以降に出てくる箇所を開けてみた。ふむ…うん。詰まってる詰まってる。乾燥用の空気が通るダクトを外すと、洗濯槽側にもうみっちりと…否、まるで低反発素材のクッションのような、柔軟剤をしっかり効かせてよく乾燥させたタオルのような、無駄なまでにふんわりとしたホコリの感触。いや、実際柔軟剤がかかった状態で洗濯乾燥した時の綿屑であり、役に立たない無駄な物体であるので、この表現はある意味正しいのだとも思うが…何はともあれ、そんな物体がみっちりと詰まっていた。

 −−−−考えるな、掻き出すんだ−−−−

 小生の頭の中で、誰かがそんな事を言ったのかもしれない。いや、言われずともそりゃ掻き出しますよ。掻き出しますとも。湿ったままのワイシャツで仕事先に行くわけにゃいきませんともさ。えい、これでもか、これでもか、これでも…か…?

 いや、比喩表現ではなく、文字通りの意味で「これでもか」というくらいの量の綿ぼこりが詰まっていた。具体的には、スーパーの食品コーナーにあるビニール袋に一杯分くらい。袋に入れてぎゅーっと押しつぶしても、小生の拳くらいの体積。ちなみに小生の手は男性としても大きい部類に入るサイズである。

 え〜っと…いや、ネジ1本外してパネル外してダクト外してといった、修理としては割と簡単な手間で出来る部類ではあるのだが、やっぱ再発は防止したいよなぁ。というわけで、平時から清掃用に取り外し出来る乾燥フィルターから水を流し込んでみる。案の定、その水は洗濯槽側に直接流れ込んでいる。ということは、こっちから水を流してやれば一応の清掃は出来るということか。ふむ…本当はケルヒャーの高圧洗浄機のオプションにある、排水管掃除用のノズルが使えればいいのだが、わざわざこのために買ってくるのもなぁ。いや、ケルヒャーさんは拙宅の押入れに鎮座しておられますので、1万前後くらいだったかで入手は出来るんだけどさ…。

 何はともあれ、一応ホコリは取り除いた。掃除の手順も、だいたい見えた。あとは試運転、という事で今に至るわけだ。まぁ、なんとか大丈夫っぽい雰囲気ではある。

 何かこう…こんな詰まらない理由で動かなくなるというのは、製品としてちょっと問題だよなぁ。もっと詰まらないような工夫はないのかしら。例えば掃除機のようなサイクロン機構で遠心分離してみるとか、そういった方法があったらいいよなぁ…。いや、流速的に厳しいのはわかってるんだけどさ…。
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2012年10月01日

先の裏側

 世の中には、良かれと思ってやった事が裏目に出るという事がよくある。まぁ、その「良かれ」と称するものが単なる独り善がりであったために困った結果になったという事もよく見かけるし、思い自体は良い事であっても「やった事」が全く先を考えていなかったため悲惨な結果となったという例もよくあるのだが、今回はそういった、ちょっと考えたら間違ってるのがわかるだろう的な物は除外したい。

 良かれと思って行動し、偉大なる成果を上げ、それでも悲惨な結果となったと本人が悔いたと言われる例としては、ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルあたりが有名であろうか。運送中や使用時に事故が起きないような「安全な爆薬」を作ろうと研究し、ダイナマイトを開発し、その後それが戦争に使用されて多くの人の命を奪った事を悔いてノーベル賞を立ち上げる遺言を作ったとか。いや、本当に悔いてそれを行ったかどうかの明確な記録があるかは微妙だが…一説によるとかつての片思いの相手が平和主義者で、それに感化されて平和賞を作ったなんて話もあるくらいで…まぁ、事実がどうかはともかく、少なくとも「安全に使用出来る」物を作った結果、「より効果的に人を殺す」手段を作ってしまったという意味では裏目に出たと言えよう。

 で…裏目に出るという意味での類似の話として、小生は「医学」を挙げたい。ぶっちゃけ医学とは、人ができるだけ死なないようにするための学問である。個人的にこれはとても尊い事であり、必要な事だと思う。小生自身、今この瞬間に人並みに生きていられるのは、かつて心臓を手術したおかげであり、その意味からもこの分野の成長に感謝する立場にあるのは間違いない。

 では、それがなぜ裏目に出るか。非常に単純化した図式であれば、医学の進歩によって寿命が伸びるという事は、結果として高齢者の割合が増えるという事になる。他にも原因は多々あれど、現在囁かれている高齢者関連の問題というのは、医学の進歩によってもたらされた結果の一つとも言えよう。

 人が長生きする。長生きするのはいいが、では健康なまま長生き出来るかと問われれば、これはかなり難しいというのが現状であろう。また、死ぬはずの怪我や病気をした人が、入院あるいは通院することで生き続けるようなケースも多々ある。つまりは、医学が未発達な時代であったなら死んでいた人が、そのまま医学の世話になりながら生き続けるという状況である。しかも、人が死ににくくなれば死ににくくなるほど、こうした人々は増えるはずである。

 このような形で長生きする人が増えると、結果としてどうなるか。一人の人間が生涯にわたって医療に費やされる内容は、医学の進歩とともに増えるはず…少なくとも確率的にはそうなるはずである。そして、医療にかかる単価が変わらない限り、この内容に比例した費用もかかってしまう。個人のみの支払いなら金の切れ目が命の切れ目となるが、保険などでこれを補助、負担した場合は当然その負担の総量も医療の進歩とともに高くなるのは明白である。

 当然、医学の進歩でこれにかかる単価が下がったりする見込みもあるわけだし、他にも色々な要因が絡んで来るのは当然であるが、まぁ現状の高齢者問題を見る限りでは大枠としてこんな方向だろうか。

 いや、だからって医学の進歩を止めろとか、高齢者を補助するなとか、そんな事を言うつもりは小生全くない。むしろ、これから高齢者枠に向かう小生の立場からするに、もっと頑張れ的な目線で見るべきかと。

 じゃぁどうすればいいのだ…という話になるのは当然である。とはいえ、小生は医学の専門家ではないので、具体的にどうこうとも言えない。かと言って、どっかのマスコミさんのように文句を言うだけ言って終わりというのも芸がなさすぎるか。でもホント、どうしたらいいのだろう。

 個人的に一つ思うのは、大抵の病気は早いうちの方が症状も対処も軽くなる点に注目するべきかな、という事である。風邪とか、引き始めに治してしまえば症状も軽いうちに終わり、期間も短い。当然、薬代も少なくて済む。うん、これだ。全部が全部この方法で安くならないのは確かだろうが、案外いけるんじゃなかろうか。少なくとも、この方法で薬代が少なくなるなら、日本の保険制度のような割合負担の場合には自分の懐にも優しいはずだ。

 よし。自分の懐のためにも、お国の予算削減のためにも、調子の悪い時は早めに医者に行く事にしよう。
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2012年08月28日

パラドックス

 「私は嘘つきである」という、有名なパラドックスがある。「私」が「嘘つき」である以上、「私は嘘つき」という言もまた「嘘」であるはずであり、「嘘つき」が「嘘」なら「正直」でなければならない。よって、これは矛盾するという奴である。

 まぁ、実際には「嘘つき」と称される人にしたところで、発言の全てが嘘というわけではない。ある程度の真実に嘘を混入しないと効果的な「嘘」はつけないというのもあるし、発言の全てが嘘であればそれはそれで会話やら生活やらが成立しなくなってしまうのも、ちょっと考えればわかる話だろう。故に、このパラドックスは正しいとは言えない。これを正しくパラドックスとして表現するには、「私の言葉は『すべて』嘘である」的なものでないといけないのではなかろうか。

 このパラドックスそのものは一旦横に置いておいて、この話をもう少し噛み砕いてみよう。一般生活において「私は嘘つきである」と言われる人の言葉を、人は信用するだろうか。普通に考えれば、否、である。だが、ここで「信用しない」とする根拠は、「私は嘘つきである」という言葉である。そしてその言葉は嘘つきだとされる人物によって発せられた言葉でだ。故に「信用しない」と主張する人は、その「私は嘘つきである」という言葉にだけは「絶対的な信用」を置いていることになる。つまり「この人物は嘘つきだ」と判断した相手そのものの言葉の一つを信じているに他ならない。そう考えると非常に滑稽である。

 ところでネットの世界を漂っていると、これに近い事象を案外見かける。具体的には、「ソースがWikipediaかよ」的な反応をする人たちである。中には、この言葉だけで相手を論破したぞくらいの気分が前後の文章から伝わってきたり、自信満々に芝生まではやしたり、もうこれでどうだ的な必殺技みたいな雰囲気で自信満々に書いているんだろうなぁという感じの人を結構見かける。

 確かに、Wikipediaは基本的に誰にでも書き込み、改変することが出来る存在である。故に、不十分な知識を持った者による誤った情報や、意図的に間違った改変などが混在する可能性は十分にある。故に情報の最終的なソースとしては、一段信頼性の劣る物であるという考え方は理解できる。まぁ、ぶっちゃけ政府広報にしろ新聞やニュースにしろ一定以上の偏りが見受けられる現在の日本では、それらと比べてWikipediaの信頼性はどっちが低いのかな、などと考えだしたら結構微妙になってしまうのではないかとも個人的に思わなくもないが。

 では、そもそも「情報ソースとしてWikipediaが信用ならない」という情報のソースはどこか。これはWikipediaの性質的な物ではあるが、この情報のソースを最終的なところまで辿ると、他でもないWikipediaそのものに辿り着く事は明らかであろう。

 Aという人が「私は嘘つきだ」と言った。Aが「嘘つき」という情報のソースは、A自身の「私は嘘つきだ」という言葉であり、A自身の言葉は最初に述べた通り、パラドックスに陥る。では、これを踏まえてBとCという第三者がいたとする。Bが「Aがこう言ってたよ」と言い、それに対しCが「Aは嘘つきなんだから信じられるわけないだろ」と言ったとしよう。この場合、Cが「信じられない」とする論拠、情報のソースはやはり「私は嘘つきだ」というAの言葉に他ならない。Cの主張は、論拠を含めて書きなおせば「Aが嘘つきだってAが言ってたよ」となる。これはこれで別のパラドックスとなろう。Cが主張する「Aが嘘つきだから信じられない」なら、「Aが嘘つき」というCの主張もまたAの首長に由来する以上、Cは自分自身の発言をも「信じられない」と定義しているに他ならないわけだ。

 このケースでAをWikipediaに置き換えて考えてみよう。そうするとネットでよく見かけるやり取りが、この上なく滑稽な物に見えてこよう。つまりは、誰かの意見に対し「ソースはWikiかよ」と嘲笑している人物は、同時に自分自身のその書き込みを嘲笑しているに他ならないわけだ。同様に、情報源がWikipediaだからという理由で何かを否定した人間は、同じ理由で自らのその発言を否定したに等しい。しかもこの手の書き込みの前後の文を見るに、それについてはおそらく気づいていないケースがほとんどであるように見受けられる。

 では、なぜそうなるか。理由は簡単である。先のパラドックスとは違って、Wikipediaの内容には真実も混ざっている。だが、まるで全てが嘘であるかのように表現してしまうから、こうしたパラドックスが発生するのである。

 この手のやり取りの有用性を考えるに、相手を攻撃するために、相手の論拠となる情報ソースを嘘だと断じることで自らの優位を得ようとする手段に起因しているのだろうと小生は分析する。相手を論破できない負け確定側の人間が、相手の情報源がWikipediaだというだけで、「情報そのものが真実かどうか関係なしに」相手の情報源を否定することで、相手の論拠を覆そうと攻撃する、そのための言葉、手段が元となっているわけであり、今でもそういった方法のために使われる事が多い。ぶっちゃけそれ以外に論破するべき欠点や矛盾が相手の理論にあるなら、べつにWikipediaを否定するまでもなく、そこを突けば良いわけだ。それが出来ないからこそ、理論や情報そのものではなく、全く別の方面から相手の論拠を否定するという手段に出るしかないのだろう、と分析出来る。

 ただ、この手段を成立させるためには、「Wikipediaの『全情報』は信用に値しない」かのごとく相手に誤認させる必要がある。よって、本来の姿である「Wikipediaは誤った情報『も』含む『可能性がある』」を「Wikipediaは『全て誤り』である」かのようにすり替えて再定義するという手段をとる。ぶっちゃけ詭弁の方法の一つである…というか、むしろ詐欺の手法に近い。

 当然、こんな詭弁をやっていれば無理が生じる。その無理が、先に記したパラドックスとなっているのではなかろうかと、小生は考える。

 情報ソースに気を使うならこそ、あるいは気を使えと相手に指摘するならばこそ、『情報ソースがWikipediaなら信用してはならない』という考え方のソースがそもそもWikipediaに行き着く事に気づかなければならない。要はネット上の定型句に煽られて、そこで思考を止めてはいけないのだと思うし、情報のソースに気を使えと言う側こそ率先して気を使わねば示しがつくまい。

 詭弁の多くは、一部分だけ取り出してみれば十分に理があるものだ。というか、そもそもそういう作りにしないと詭弁そのものが成立しない。だが、その詭弁自身が持つ理の部分によって詭弁自身が破られることもある。これは、もしかしたらそういう種類のパラドックスのお話なのかもしれない。
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2012年08月17日

八月虻い

 言葉という物は、時代とともに変化する・・・という説がある。だが、変化の源はそれだけであろうか。時間経過による変化は、発音しにくい組み合わせが発音しやすい形に変化するだとか、そういった簡略化や表現の容易化が多くなりそうな気もする。では、時間以外の要因は何かと考えると、最も明快なのは「新たな概念」が出来た時であろう。

 新たな概念とは、わかりやすい例えを出すなら「新たな名詞」ができる時であろうか。つまりは、世の中に「コンピューター」なる物が出来た時、言語は相応する名詞を必要とするわけである。昨今の日本語では、特に諸外国で作られた概念に対する対応は、片仮名を使用することで容易に対応できる。これは、言語的にはものすごい強みなのではないかと思ったりもする。

 かといって、では外来語は全て片仮名かというと、案外そうでもない。例えば「万有引力」という単語は、日本に輸入された論文を和訳する時に考えだされた言葉だという話もあるし、先にあげた「コンピュータ」にしたって「電子計算機」という日本語がある。

 いずれにせよ、言葉という物が仮に変わらないような性質の物であれば、古来の日本の言葉を今でも我々は用いているはずだという話になる。そして、実際には「古文」を学校で習わねば、当時の文書の意味を読み取る事すら難しい程まで変化しているわけであるから、単純にこれだけの事象をとっても、少なくとも時間経過によって言葉という物が変化することは証明する事が出来る。

 ところで、時間経過でも概念でもなく、突発的に言葉が発生することがある。有名なところでは「うるさい」という語に「五月蝿い」という文字を当てた例であろうか。確か、夏目漱石であったか・・・一人の小説家の、一遍の話にあったたった一つの単語が、すっかり日本語として定着してしまった物である。夏目漱石は当時から面白い言葉を使う人物と評されていたようで、他にも幾つかの「新たな単語」を現代に残しているとか。どこぞの新聞コラムが昨今の若者言葉を見て「乱れた日本語」などとわめき立てたりするが、漱石が作った言葉は良くて、若者が作った言葉は日本語として正しくないのか、そのどこに違いがあると言うのだ、と問いただしたい気もしないでもないが、何はともあれそんな感じで「誰かの考えた」言葉が世に出て定着してしまうケースもあるように見受けられる。

 で・・・その五月蝿いという単語だが・・・実は、先日とある露天風呂に入ってきた。季節柄、山地には「虻」が大量にいるわけで、おかげで風呂の周りにも虻が大量にいるわけで・・・。ヤバイ。これはマジヤバイってくらい虻にたかられて来た次第である。何が言いたいかと言うと、五月蝿は「うるさい」で済むが、八月虻は「うざい」とか「やかましい」とか、「うるさい」もう一段強い単語を割り当ててもいいのではないかと、心の底から思った次第である。いや、ホント勘弁してください。

 あぁ・・・何かいい虻対策ってないもんかなぁ。
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2012年08月12日

くじ引きアルゴリズム

 とあるオンラインゲームに、1回200円でゲーム内の装備やアイテムが当たる「くじ」がある。いや、くじがあるというだけなら昨今では全く珍しくもない事だが、このゲームに関しては少々興味深い事がある故、小生が個人的に注目していたりする。

 なぜそれに限って注目に値するかというと、その「くじ」の確率分布が明らかになってしまったためである。いや、確率分布そのものは正直どうでもいい。たとえ公式からのアナウンスで「魔法職は絶対入手しておきたいアイテム」などと謳ったものが実は入手確率0.01%であり、わかりやすく計算するとは200円のくじを1万回…つまりは200万円つぎ込まないと手に入らないレベルの物であるという事が判明してネットを騒がせていたりもするのだが、個人的に気になって仕方ない事は完全に別の場所にある。

 というのも、そもそもその確率分布が明らかになった「理由」が面白い。くじ引きの結果を表示するページ、つまり「〇〇が当たりました」というのを表示するページの末尾が、数字になっていたそうな。で、その数字を変えてアクセスしてみたところ、1万の連番ページがあり、一つ一つアクセスしてみると当たったと表示される物が変わったそうな。それが故に、1ページしか当たりのなかった目玉賞品は確率が0.01%となり、同様に5ページあるアイテムは0.05%、といった具合で1万通りの当たり具合がわかるという事だそうな。

 つまりくじ引き部分のアルゴリズムは、1万までの乱数を作って、一定数を足して、その前の方に"http://〜〜〜"という文字列を足したアドレスを返している、という事になる。小生が着目するのは、ここである。

 これを実現するためには、1万個分のページを用意しなければならない。賞品の数が1万種類あるのであれば、それでいい。だが、実際に賞品となるアイテムの数は40個かそこらである。つまり、重複するデータがやたら多い。故にどう考えたってhttpのサーバ側でアドレスを変換しているはずである。だが、本当にそれを処理すべき場所はhttpサーバであろうかと考えると、ぶっちゃけありえない話だと思う。

 乱数を振って、賞品を決める。ここまでは、いい。問題は、次だ。普通にアルゴリズムを考えれば、何が当たったかを判断する。つまり、賞品が40種類なら、0〜39なり1〜40なりの数字を吐き出す。で、相当するアイテムをキャラクターに放り込む。それと同時に、何が当たったかを表示するアドレスにジャンプする…というのが、普通の考え方であろう。

 裏を返せば、その会社はくじ引きCGIでは乱数を発生させることだけしか出来ず、それをhttpサーバ側で一生懸命何とかするという方法を採るようなレベルの会社である、という事だ。で、恐ろしいことにそんなレベルの会社が、オンラインゲームを運営しているのである。

 すげぇ。世の中、進歩したもんだ。素人だってやらないようなアルゴリズムが平然と通る会社がオンラインゲームを運営できるなんて、もはや馬鹿でもオンゲ運営できちゃうねってくらいの進歩だ。これは驚愕せずにはいられない。いや、ホント驚いた。

 だが…まさかそんな事を本当にやってる訳がなかろうて。URLの変換はhttpサーバがやってるとして、実際にそんな事をやってたりする訳がない…と思っていた。が、甘かった。

 というのも、その会社はくじの確率の話はネットで広まるとすぐに「負荷軽減」と称してこれを対策、小生が「普通」だと言ったようなアルゴリズムによるアドレス管理に変更したのだ。しかも、1〜40の数字とかではなく、ランダムな英数字を用いたある意味暗号化したアドレスにしたのである。ただ、同じアイテムは同じアドレスという状況なあたり、多分に付け焼刃的な対策であるのも事実ではあるが。

 で、このタイミングでこの対処。ボロが出たというか、馬脚を現したというか、状況から判断するにどう見てもネットに出ていた確率分布が正しかった、という見方以外には有り得ないと言えよう。ならば、結果表示もかなり阿呆なアルゴリズムが使われていたということであり、プログラミングに関してはそのレベルの会社だとう事もまた明らかだ。

 とはいえ、どんなアルゴリズムであったとしても、速度的に問題にならず動作も確実であれば、それは「問題なく動く」と判断される訳であり、いやどう見ても馬鹿すぎるだろうというアルゴリズムが表に出てしまったとはいえ、それで動いてるならまぁ…と言えなくもない訳であり…。ある意味、複雑な気持ちではある。

 ま、そんな芸術的なまでに馬鹿なアルゴリズム(この場合、褒め言葉ではない)を考えつく会社が今後どんなオンゲをいじって行くか。そう考えると、個人的に興味は尽きないのである。
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2012年08月02日

神に代わる言葉

 古来、人知の及ばない所業の多くは「神」による物とされてきた。科学が進歩し、そうした所業の因と果が徐々に解明されてきた事により、神のせいではなく他の何か、はっきりした原因による物と判断されるようになってきた。

 人は、何か困る事象があればそれを排したいと考えるものである。否、それはおそらく人のみではあるまい。何にせよ、その事象を排すには、大きく分けて2つの方法しかない。つまりは、今あるその事象に対処するか、その事象の原因を何とかするか、である。よく風邪をひいて頭痛に悩まされるのであれば、頭痛薬で頭痛を鎮めるか、風邪を引かないように工夫するか、ということである。

 では、その「原因」を判断する時にどうするか。この方法は多岐にわたるからここでは詳しく語らないが、少なくともこれが「神のせい」であれば、その原因を排しようがない。神のせい以外ではどうか、と考えると、今も昔もその原因を、一見すると明確にしているようであって、案外そうでない…実は、昔から言う「神のせい」と、言ってることはさして変わらないな、という事が結構多いのではなかろうか。

 例えば、多分に偏見が混ざっている例ではあるが、黎明期の心理学などはそれに当たるのではないか。というのも、大抵の心の動きは最終的に「欲求不満」という物に行き着く。つまりは「欲求不満のせい」である。これは古来の「神のせい」と、さしたる差はないように思える。

 と、まぁ、前振りはこんな程度にしておいて。現代でもそういった物が割と身近にある気がしてならない。例えば、医学系。ぶっちゃけ、医者の知識の範囲で判断できない物は、「ストレス」「アレルギー」あるいは「生活習慣」といった物で片付けられてはいないか。そして、これらの単語を医者に言われて納得してはいまいか。我が身を振り返って、そう考える次第である。

 というのも小生のように40歳を超えると、人間色々と体の不調が出てくる訳である。で、医者にかかってみて、色々と言われるわけである。そして、ある医者と別の医者で、原因とする物が異なるケースが時々見られるわけである。そういった場合、片方が割と明確な説明をするのに対し、他方は「アレルギーかもしれません」「ストレスのせいかもしれません」的な説明をしている事に、経験上気がついた。

 いや、本当にアレルギー由来だったりストレス由来だったりする可能性を、小生決して否定する訳ではない。当然、専門家が専門的な知識を元に、そう判断する事もあろう。だが、そうではない場合も多分にあるのではなかろうか。

 例えば、専門の境界線付近…喉のように耳鼻咽喉科、口腔外科、内科(呼吸器内科など)といった専門の境界線が存在し、具体的に「喉のどこ」に原因があるかで専門家が違うケースなどがある。そういった場合今かかってる医者であってるかと考えれば、割と博打に近い確率ではなかろうか。または、内科や外科でもそれぞれ専門は多岐にわたるわけだし、最新の論文をどの程度まで追いかけているかでも知っている範囲は異なる。

 他にも、本当に専門分野ではない範囲で医者が対処しているケースだってあるかもしれない。咳が出るとして呼吸器内科にかかり、逆流性食道炎と診断されたとする。おそらくはそこで、胃酸を抑える薬を処方され、生活習慣によるものだから気をつけてねといった指導を受けるだろう。では、その胃液が逆流する原因は何か。それを考えるのに、仮に原因が胃にあったとすれば直接的な専門家は呼吸器内科ではなく消化器内科だろうし、骨格などによる胃袋の圧迫であれば外科的な話にもなるだろう。本当に生活習慣が原因だとしても、では具体的にどのような物を食べ、どのような食べ物は避け、どのような生活をし、会社などの要因でその理想的な生活が出来ない場合はどうしろ、といった事細かな指導を得ることが出来るか。小生がものすごく不運なのでなければ、小生の個人的な経験の範囲から考えるに、こういった原因から解決するための指導が得られるのはかなり幸運なケースではなかろうか。いや…我が身の不運っぷりには自信はあるけどさ…。

 何より自分のかかった症例が、その医者が知っている症例に当たらない可能性があり、その医者が必ずしも正しい判断が出来るとは限らない。これは、セカンドオピニオンという考え方が昨今では一般化している点からも明らかであろう。

 ここで、話は最初に戻る。わからない物の原因は何だと人は言うか。太古の時代は「神」と言った。裏を返せば、「神のせい」であるとされた物は「原因がわからない」という事に等しい。ならば、現代の医学…否、特定の医者に行って「神のせい」に通じる言葉が出てきた場合、それは暗に「原因がわからない」と言っている可能性を判断する1つの指標となるはずだ。上で小生は「ストレス」「アレルギー」「生活習慣」などを挙げたが、これに限らず明確に「これ」という具体的な説明がなされなかった場合、別の医者にかかってみるのも1つの手なんじゃないかな、と個人的に思うようになった次第である。

 くれぐれも…医者を疑えと小生は言っているのではない。だが、医者という立場上「わからない」と言い難いのもまた、事実だとも思う。故に、そこは患者の側でその意味を汲み取るのが、お互いのために良い関係なんじゃないかな、と個人的に思う次第である。というか、ぶっちゃけ小生が病んだいくつかの症例において、そういった経験があった、というだけの話なのであるが。

 本当は、医者が自分の知る範囲の中で「これとこれには当たらないですね、あとは私にはわかりません」と言ってくれて、それを元に他の医者を探すというのが、一番いい方法なんじゃないのかなぁ…とも思う。でも、初診料がかさむんだよなぁ。
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2012年07月24日

パケ死?

 先日の米国出張が終わり、帰国後にいきなり携帯にメールが。曰く、パケット料が1万円を超えたとのこと。おろ?どういうことだ?

 こういう時は慌てずに。孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからずである。敵の言い分はさておき、まずは己の状況を確認しようではないか。

 まずは海外での定額プランの確認。これは、出張直前にわざわざショップに出向いて、ちゃんと入ってる旨を確認済である。また、その定額プランが適用されるための操作方法も、同時にショップで確認をしてきた。そして、米国でその通りに操作をしていた…はずだ。だとすると、この辺で何かミスがあったとしたら、可能性は2つ。小生が操作を間違えたか、ショップの店員が何か誤解していて間違った事を小生に説明したかである。あるいは、小生が見落としている可能性がまだあるかもしれないのか。

 いずれにせよここまでの情報では、まだ推測の域を出ない。故に、次は敵を知る必要がある。ということで、通勤の途中でショップに寄ってみた。色々あって、今月の明細を確認してもらった所、確かに海外からの通信費用が加算されているものの、海外での定額プランの上限値で収まっているとのこと。早い話、普段よりはちょっと高いけど、全部定額の範囲内に収まっているそうだ。

 え?…ならば、何で料金超過まがいなメールが来たのであろうか。詳細を聞いてみたところ、早い話「国内でのパケット代(定額の範囲内)」+「海外でのパケット代(海外定額の範囲内)」の合計が1万円を超えたため、その旨の注意メールが送られてきたとのこと。

 あぁ…なるほどね…そういうことですか…。

 ……

 …………

 ………………

 えっと…それって、メールを送信する「しきい値」の設定に問題がないかな?両方定額の範囲内(というか、おそらくは両方上限いっぱい)なのに、警告メールが来るという設定は、普通に考えて絶対におかしい。まぁ、後からプラン足したり引いたりしてるから、こういう見落としが起きるんだろうけどさ。

 それはさて置き。余談ながら、海外でのパケット代がどのくらいだったか教えてもらえた。定額なしの場合の料金は、21万くらいだったそうな。まぁ、カーナビ代わりに使ったりしたから、確かにパケット数は多かったとは思うが…一週間程度でこの値段は、そりゃパケ死なる物が発生するわけだわなぁ。いや、むしろ逆に考えるべきか。この定額プランのおかげで、小生は20万弱くらい特をしているのだ、と。うん。ポジティブポジティブ、と。
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2012年07月23日

音源

 小生、プログラミングなる物を覚えてからかれこれ30年くらいになる。当時のBASICに始まり、処理の遅さに嫌気が差してPascal系のコンパイラに手を出したりアセンブラをいじってみたり、まぁひと通りやってみた感じである。で、今だにプログラムを組んでいたりするわけである。

 同時にコンピュータ系の音楽に対する興味も、かれこれ20年以上続いている。今でも手元にYAMAHAのDX7があるあたり、当時のFM音源で色々やっていた原体験から抜け出せないのだろうとも思う。というか、ぶっちゃけ何でも再生できる昨今のコンピューター系音楽って、楽器で出る「リアル」な音と同じ物を同じように扱えてしまうから、工夫というか職人芸というか、そういう要素がとても薄くなってしまったような気がして小生にとっては面白くないように思えるわけで。いや、確かに細かな工夫は今でも存在する。それは認める。でも、それは「音楽」としての工夫であって、「コンピュータ音楽」の工夫とはちょっと違うような気がしてならない。早い話、昔の音源数や解像度といった厳しい制限の中で、いかにそれをかいくぐるかという工夫や楽しみが、今のコンピュータを使った音楽には無い…というあたりが小生にとっては不満なのだろう。でも、音楽性とかとは全く関係ない要素だわなこれって。

 話がそれた。もう1つ、当時からコンピュータで音楽をいじっていた小生の心揺さぶる物に、「MML」なる物がある。音楽を「記す」方法としては一般的に「楽譜」が用いられるが、これをコンピュータ上で読み書きするのはプログラム的に色々と面倒くさいし、コンピュータが扱うためには無駄も多い。故に、「楽譜」ではなくもっと単純に「ドレミファソラシド」をテキストで書いてしまおうという発想の「言語」である。いや、もう少し正確には、英語で言う「ドレミファソラシド」、つまり「CDEFGABC」を並べるような物である。まぁ、和製のその手のシーケンサで「どれみふぁそらしど」表記の物があったような記憶もあるが…とりあえずそれは横に置いといて、とにかくそういう方法で楽譜を表現する物があったのである。

 あった…という表現は良くないかもしれない。実際、今でも確かに細々と残っている。わずかに残ったそれを…何の巡り合わせか、ネットで久しぶりに発見した。ActionScript…つまりはブラウザとかの「Flash」で色々やるための言語であるが、それで音源をコントロール出来ないかと色々探していたところ、「SiON」というライブラリにぶち当たったのである。基本的にMMLでFM音源をコントロールするという、何とも小生の懐古心をくすぐる物ではないか。ActionScript中でMMLを書く感じになりそうだが、サンプルプログラムとしてテキストボックスにMMLを書き込んで再生するという物があったので、試してみる。ちょちょいと思いつきのMMLを書いて再生っと。ふむ、これだ、これ。懐かしい感じの音。いや、どう考えても懐古以外の何物でもないのはわかっているのだが、まぁレトロブームっちゃレトロブームでもあるので、こんなのもいいんじゃなかろうか。

 というわけで、久々にちょっといじってみようかな…。
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2012年07月22日

ネカマ

 「ネカマ」なる言葉がある。正確な定義はともかく、ネット上にて性別を違えて成り切る行為である。とりあえずその良し悪しなどという不毛な話は横に置いといて、そもそも誰が最初に始めたのだろうとか考えてみた。

 そも、自己の性別と異なる何かに興味をいだき、それを演じるという行為に興味をいだくというのは、普通に生活していても多少はは見かけられる種類の人間の行動であるとは思う。そして、「顔」が見えず、日常の友好関係から完全に独立した環境であるからこそ、ネットでそれが実現できるのもまた事実であり、故にあとはそれを実際にやってしまうかどうかだけという点であることも理解できなくはない。故に、誰がという訳ではなくそれが自然発生したのであろうというのも、また理解出来る。

 では、ネット以前はどうだろう。個人が手軽に投稿できるネットより前だと、書籍の類となろうか。男性名の女性作家や、逆に女性名の男性作家は数あるものの、ならばそれが逆の性別を演じていたかと問われると案外そういった作品は少なかろう。というか、そういう書き方が出来る作品がそもそも少なかろうて。あるとして、手記、日記の類だろうか。ふむ…日記…。

 あぁ、あるではないか、日本の歴史に記されるほどの大物が。漢字は男性が、仮名は女性がつかう時代に、女の立場として仮名で日記を綴った男性がいたではないか。

 つまりは、紀貫之と土佐日記である。今から1000年以上昔の話である。中学だか高校だかで習ったはずだ。あれ…もしや、と思い、アンサイクロペディアで紀貫之を引いてみる。わはは、やはり小生如きが思いつくような事は、先達が考えているものなのだな。載ってるよ。最初のネカマとして。紀貫之。

 さて、なにはともあれ。紀貫之は歴史上、あるいは文学史上の偉人の一人として数えられている。では、それと比して現在のネカマさん達はというと、割と扱いが悪い。この差は何だろう。所詮は10世紀以上昔の人の劣化コピーだからであろうか。ふむ。確かに、顔だとか声を使えないが故に文章でのやり取りがメインとなるネカマさん達と、文章しか伝達手段がなかった当時の文豪。ともに、文字でしかやり取りする手段がないのは一緒である。ならば、片や女流文学の祖とも言える人であり、当時としては色々と斬新なことをたった一冊の日記でやってのけたすごい人であるのに対し、片や素人…それも低い側を見れば顔文字と文末のハートマークだけしか主張のない、面白みのない文章しか出てこない人たちまでいるわけで…。そりゃ比較にならない程の劣化コピーであろうて。しかもコピー元が1000年前。さすがにちょっとセンスが古すぎなのかもしれない。

 だが…と少し考えなおす。幾多のネカマさんがいらっしゃるこの世の中だ。多数の写本が作られた紀貫之に匹敵する人物もいるのかもしれない。当時の写本に相当するといえば、現代では「コピペ」だ。つまりは、あちこちで引用されるような言い回しを作ったネカマさんとかが居るなら、その人はそれなりには匹敵する存在であるかもしれないと言えよう。

 そう考えると、一人や二人そういった人が居るのかな…居るのかもしれない。いや、小生そういう方面にゃ詳しくないのでわからないのだが、そう考えると誰か一人二人くらいはそういった偉大なネカマさんがこの世の中にはいるのかも…なのかな?
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2012年07月21日

気温

 数日前。米国デトロイトでは120年ぶりの猛暑出会ったとか。仕事の都合でよく海外に行く小生も、さすがにこういった異常気象に出会うチャンスはなかなかないのであるが、ぶっちゃけ初デトロイトでこれに出くわしたもんだから、小生のデトロイトの印象は「暑い」でしかなかった。いや、冬になればマイナス20度とかになるそうなんだけどさ。

 で、猛暑猛暑と言うが、ここ数年では日本の夏だって負けてはいなかろう。先日、何度になるのよと仕事先で聞いてみたところ…「なんでも明日の気温、3桁行くらしいよ」とか。3桁って100度かよ…水、沸騰しちゃうじゃん、とか一瞬考えたが、いかんせんメートル法に従わない国の筆頭であるアメリカのこと。温度表示も華氏であった。

 摂氏と華氏の換算を即時に出来るほど小生は頭は良くない。良くないが、それでも華氏というものが人間の体温を基準にして定められており、その表記によると体温がだいたい100度弱という程度は知っている。風邪ひいて体温が100度とか、確かそんな感じであったような記憶がある。

 …って、待て。軽く37度超えてるんじゃねえのこれ!?もしかして盆地フェーンで気温が嫌ッハーになる関東の秘境、熊谷並の気温ってことか。待て待て待て待ておおおおおおちつけ小生。ここはデトロイトだ。ミシガン湖の横あたりだ。盆地とは違う。どっちを見ても平地ばっかりだからフェーン現象なんて発生しない場所だ。…って…平地で…フェーン効果なしで…その気温かよ…。

 というわけで、その酷暑に浸ってきた小生である。多くの人間にとって、暑い時はビールが美味い。うん。確かに飲みに行ったら美味かった。美味かったのだが、ちょっと気を抜くとあっという間にヌルくなる。ジョッキのビールが、である。どのくらい「あっという間」かというと、まだ泡が残ってるのに超ヌルいと感じるくらいである。うん、確かにこれはおかしい。洗濯してもすぐ乾くようにと思って登山用の帽子とズボンで行ったのは、暑さ対策の意味でも正解だったか。

 で…そんなデトロイトを経験した小生。熱中症にもかからずに無事日本に帰ってきたのはよかったのだが、なんだか寒い。気温が25度を超えても、半袖では寒いと感じる。むぅ、華氏100度に体が慣らされてしまったのか。なんだかこう…微妙に理不尽な何かを感じる次第である。
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2012年07月15日

遅い

 デトロイトの夜は遅い。いや、夜が遅いと言うと普通、日本語では夜更かしという意味を表現する言葉であるが、この場合の「夜が遅い」はちょっと意味合いが違う。日本語本来の比喩的な意味ではなく、文字通り「夜が来るのが遅い」である。より正確な表現をするのであれば、「日没が遅い」と言うのが正しいのであろう。

 子午線との位置関係、緯度、季節、サマータイム等など、日没の時間に影響する要素は多々ある。で、それがどれも日没が遅れる方向に作用するとどうなるか。極論してしまえば、夏至近辺の北極では日が沈まないわけであり、北欧などでも深夜まで明るい「白夜」という状況がある。そして、もう少し緯度が下がるとどうなるか。つまり、小生が今居るデトロイトの状況になるわけで…夕暮れが夜9時なのである。

 夕食を食べに出て、7時。まだ明るい。夕食から帰って来て8時。まだまだ明るい。部屋で一休みして9時。ようやく夕暮れ。日曜以外だと近所のショッピングモールが閉まるのが午後9時。あぁ、閉店だと店を出て、ようやく夕暮れ。そこから宿に帰ってみりゃ、まだプールで泳いでる人が居る。そして、そんな状況でも日本と同じく、朝4時半くらいいは日が出てる。

 えっと…その…何だ。これはなんと表現したらいいのだろう。小職程度の知識では、この状況ををうまく言い表せる単語が思い浮かばない。結局出て来たのは、「夜が遅い」である。こんなふうに、一般的な日本語でうまく言い表せない状況というのが、おそらく世界のあちこちにあるのだろう。そう考えると、やっぱり世の中広いんだなぁ。
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2012年07月14日

星空

 夜、星空を見上げる。遠くに居て逢えない我が想い人も同じ星空を見上げているのだろうか、などと思う。もはや使い古されたと言っていいくらいの常套句であろうか。

 どれだけ遠く離れていても、見上げたその星空は同じであり、同じ物を相手も見てくれているかもしれないという期待は、小生もよく理解出来る。だが、そういった甘美な想いに、今この瞬間の小生はあえて笑止と言うことが出来る立場ではなかろうかと思う。というか、言ってしまう。笑止!!、と。

 なぜ笑止と言えるか。シンプルに答えるなら、小生の想い人が例えば関東にいるとして、ここしばらく小生はその人と同じ星空を見ることは絶対に出来ないからである。室内で夜勤?いやいや、そんな甘い物ではない。曇り空?全然足りない。もっと天文学的、あるいは物理学的な理論上レベルで、絶対に同じ空を見ることが出来ないのだ。それこそ天地がひっくり返らない限り無理なのである。

 答えを明かしてしまえば、案外簡単な「なぞなぞ」である。つまるところ小生は今、日本から見て地球の裏側にいるわけである。とはいっても、正反対のブラジルあたりならもしかしたら払暁や夕暮れの一瞬くらいは同じ星空を見るチャンスもあるかもしれない。が、今いるのはデトロイト。日本と同じ北半球の、しかも日本より高緯度である。

 この時期、北半球は夏である。一日のうち半分以上の時間は太陽が昇っており、星が見える時間の方が少ない。つか、夏至をちょっと過ぎたあたりであるため、一年のうちでも最もその傾向が強い時期だと言えよう。そして、12時間くらいの時差がある。これらを全て勘案するに、デトロイトと日本が同時に「夜」である瞬間は存在しないはずである。よって、デトロイトの小生と日本の想い人が同時に「同じ」空を見あげる可能性はありえない。まぁ、文字通りに天地がひっくり返ったらあるかもしれないが。

 では逆に、同じ星空を見上げられる幸せな距離はどこまでか。一方が夜明け前に空を見あげ、他方が日没直後に空を見あげて辛うじて同じ夜空、と言える範囲なら結構広いかと思われる。だが、実生活で考えるに遅くとも終電で帰るような時間以降は出歩く人はあまり居ないだろう。そう考えると夜8時から12時くらいとか、そのくらいの範囲でないとダメなのではなかろうか。そうであらば、自ずとその時間帯が重複する時差の範囲内に絞れるはずである。

 もう一つ。南北方向の移動はどうだろう。たとえば、日本とシドニー。時差はあまりないが、距離的には地球半周より少々短い程の距離となる。一方が夏の時、他方は必ず冬となることもあって、北半球で時差がある地域と比べても、同じ「夜」を共有する時間帯は長くなる。問題は、オーストラリアと日本で「星空が同じ」であるかという点である。

 一例をあげるなら、有名なオリオン座。北半球で腕を振り上げるオリオンは、南半球では足を振り上げ逆立ちしている。つまり、上下が逆に見えるというわけだ。実際、小生はオーストラリアでオリオン座を見たことがある。あれは、何というか、別物だ。「同じ物」という感覚が沸かない。いや、逆になってるというのは、よく見てよく考えればわかるのだが、そうやっていちいち考えてやっと「同じ物の逆むき」と認識出来るくらいである。

 さらに、あっちでは南十字星だのマゼランだの日本では絶対に見えない物が見える。逆に、北極星とか日本で当たり前に見える星が、あっちでは見えない。この辺を同じとして許容出来るか出来ないか。「同じ星空」と認識出来るか、あるいはダメであるか。そのあたりにかかって来そうである。小生的が実際に見た印象としては、こいつはまぁダメっしょ、というところである。

 要は何が言いたいかというと、星空を見上げて「あの人も同じ星空をみあげてるのかな」と思うのであれば、それはつまり同じ星空を見上げるほど「近い」距離にいる幸せを噛み締めるべきだということである。グローバルな今の世の中、同じ夜空を見れる地域は案外限られているわけである。

 そう、この記事は性格の悪い小生が、古くからの言い回しにケチをつけるための物ではなく、これを読んで星空を見上げた人が少しでも幸せになれるようにという、地球の裏側に居る小生からのメッセージなのである。…ということにしといてくださいな。
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2012年07月09日

ラーメン

 タンメン、と呼ばれる食べ物がある。「炒めた」野菜をラーメンにたっぷり乗せた物であり、主に関東圏で食べられていた物である。いや、食べられて「いた」はおかしいか。今でも残ってはいるのだ。とはいえ、出す店がだいぶ少なくなったように感じる。

 いつからだろう、そして何故であろう、メニューにタンメンという文字を見る機会が減ったのは。いったいなにが原因で、この世に何が起きたからそうなったのであろうか。考えてみたところ、いくつかの事に思い当たる。一つは「炒飯」。ラーメン屋の炒飯もいつの頃からあまり見かけなくなった。そして、天津麺なんかも見なくなった。下手すりゃ餃子すら無い店もある。ふむ、この辺に何かあるのではなかろうか。

 さらに、いつから見なくなったかを考える。ラーメンを食べる場所が中華料理屋ではなく、ラーメン専門店にシフトしてきた頃からではなかろうか。

 あぁ…もしかして…と、一つの推測に至る。つまりは、誠に失礼ながらではあるが…世の多くのラーメン専門店さんは、炒め物が出来ないのではなかろうか。というか、ぶっちゃけ茹でる以外の調理が出来ないのではなかろうか。

 中華料理屋でタンメンなり天津麺なりを頼んで厨房を見ると、料理人が中華鍋なりフライパンなりを振るう。その場で調理し、調味し、麺を茹でる時間に合わせて具を完成させる。その手際たるや、いつ見ても見事なものである。

 では、とラーメン専門店を見ると、結局のところどの具を頼んでも麺をゆで、具によっては一緒に茹でるというか温め、盛り付ける。茹でるという行為は確かに調理の一種であるとはいえ、これは本当に「調理」と称していいのかな、という疑問が生まれる。まぁ、百歩譲って「調理」はしているとしても、「調味」はしていない。

 ここで、2つの見方を思いつく。1つは好意的解釈として、その場での調理を意図的に排したという解釈。つまり、麺は別途作っておき、スープも予め作ってあり、店舗では茹でる時間さえ間違えなければ同じ物が出来るという手法である。この考え方の利点は、短時間で客に物を出すことが出来、均一な味で、しかも価格を下げ、バイトだろうが誰だろうが作れるようにする、という方向性である。これは外食チェーン店、自動車、一部の建築現場などにも共通する考え方であり、要は「職人」を徹底的に排除し、誰でも失敗しない「システム」を作り上げることによって実現される。まぁ、ある意味、立食い蕎麦屋と全く同じ考え方の物である。というか、立食い蕎麦屋のラーメンこそ、まさにこの方法で昔から作られているではないか。まぁ…立食い蕎麦屋と比べると、ラーメン店ってすごく割高に感じるけどね。

 ではもう1つの解釈…こちらは、比較的悪意の解釈をしてみる。つまりは、こうだ。その場での「調味」を「しない」のではなく、「出来ない」という解釈である。要はキッチリ時間をかけて計量しないと味付けがバラつく、味見に自信がない、鍋を振る手際がない、そもそも「料理」が出来ないとか、出来たとしてもスープと叉焼を時間をかけて茹でる以外に能がないとか…そういう人が背伸びして作った店、という可能性である。うわ、我ながら嫌な解釈だ。何か勘違いした人が食べ物の店を出そうとした感じしかしない。というか、これってラーメン屋以外の食べ物屋では成立しにくいよなぁ…ハズレ料理人が出来る食べ物屋がつまりラーメン屋って理屈になってしまうのか。いやぁ…とある仕出し弁当屋とか超絶に不味かった例を小生は知っているわけで、ラーメン屋以外でもあり得るっちゃぁあり得るよな。

 何はともあれ、ラーメン関連の問答では素材にこだわり時間をかけて作ったスープです、みたいな話をよく聞く。が、その場で炒め物すら出来ない料理人がこだわったところで、失礼ながらどこまで出来るのだろうか。ふと、そういった怖い考えに思い至る。いや、ぶっちゃけ小生は貧乏舌である。よっぽどのことがない限り、たいていの料理は「不味い」という評価をしない。だが、それでは巷の多くのラーメンが「美味い」といえるかと改めて問われると、あれ…それなりに美味いとは思ったこともあれど、じゃあそれがものすごく美味いと思った事はないなぁ、というのが正直なところである。変だなぁ。蕎麦もうどんもスパゲティも、料理として美味いと思った記憶のの1つ2つは思い浮かべる事ができるのに、ラーメンが美味いと思う店はと考えると「ラーメン屋の中では美味い」という印象のものしか無い。

 いかん…。これ以上考えると、ラーメンは不味いものとしか考えられなくなってしまう。いや、ちゃんと料理出来る人が、省力化やコスト等を考えて炒め物を排しているケースだってあるだろうし、建屋の賃貸契約の関係で油汚れを出せないため泣く泣く炒め物を排した店もあるかもしれない。逆に炒飯やタンメンを作れる店が不味いケースだってあるだろう。だが…小生がここに書いたようなダメな店もたぶんある…というか、結構あるんじゃなかろうか。って、変にこうやって考えすぎるからいけないんだな。

 では、どうしたらいいのだろう。あぁ…そうか。中華料理屋でラーメンを頼むか、店頭でメニューを見て炒飯がある店を選べば、とりあえず小生の懸念はある程度解決出来るのか。ふむ…それはそれで手かもしれない。しばらく、そうしてみようかな。
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2012年07月07日

我が闘争

 拙宅には、ネズミさんが出没する。さすがに住み着いているわけではないので、通いのネズミさんのようである。そして外部から侵入してきては、台所だの天井裏だので悪さをして帰ってゆくのである。幾度が直接遭遇したが、サイズとか色から判断するにハツカネズミではないかと思われる。

 日本でハツカネズミと言うと、薬の実験で使われる白いアレを思い出す人のほうが多いのであろうか。確かにメディアに露出するハツカネズミというと、大抵は白い個体である。だが、あれは実験の結果がわかりやすいようにするため、意図的にアルビノ個体を増やして使用しているとか聞いたこともある。

 ところで小生は個人的に、モルモッ党員でありカピバリストでもある。要は、げっ歯類が割と好きな人種である。だが、ネズミの諸害は小生如きよりよっぽど専門的な記事がネット上にゴロゴロしている故ここでは記さないが、とりあえず共存出来る相手ではないのもまた確かである。とはいえ、ゴミの日の前夜以外にうっかり殺してしまったら始末に困るし、毒殺という手段を使って下手に敷地内で死なれても困る。ネコさんでも飼っていれば「猫殺」という手段を用いることも出来るかもしれないが、残念ながらそれも居ない。いや、一度は近所の野良猫さんが拙宅の横でネズミさんに遭遇したらしく、深夜に

「ガサッ!! ドタバタガサガサ」
「ヂューーーーーーッ」
「ぅにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
…………しーん

という大活劇の音が聞こえたりもしたが、どうやら拙宅の通いネズミではなかったらしくその後も現れているのである。

 では、どうやって対抗するか。否、いかにして戦うかである。戦うと決意した時に紐解くべき書物といえば、孫氏である。が…これは下手すると戦わない事を第一としているので、序盤は読み飛ばして…と。あったあった。孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず。己はというと、ズボラ、怠惰…という話は置いといて、一人暮らし故昼間は留守だったりとか台所は無人の時間が長いとか、そういう状況がある。つまり、敵の活動に有利な状況となっている。

 そして、敵を知る。昨今ではネットで大抵の情報は集まる。ダメ押しで、知り合いの生物系の奴にメールを送って聞いてみるか。ネズミの専門家というと…生物学部卒の友人が何人か居るから…って、あれ?海洋生物学だとか農業系だとか大腸菌の遺伝子改造とか、ネズミ関係なさそうなのばっかりだな。他には…えっと…あぁ、いたいた。現役薬学部!!どう考えてもハツカネズミの専門家(とんでもない偏見である)。

 というわけで、諸々の情報を総合。
1.食料目当てで活動しているので、食料となる物を放置しない。
2.とにかく進入路を塞ぐ。ハツカネズミは建物の壁を破る程の力はない。
3.ネズミはハッカの匂いを嫌う。
4.ハツカネズミの寿命は2年くらい、ただし遺伝子をいじるとだいぶ変わるとか。

 こうして、小生とネズミの闘争が始まった。

 まず「1.」の食料に関しては、まずは台所に出ている食料が囓られるのでこれを隠す。具体的には、とにかく冷蔵庫。保存の効く果物でもネギでも冷蔵庫。バナナもアボカドも冷蔵庫…に入れるのは悲惨な結果しか生まなかったので、なるべく買わない&少量買って食べきる方向で。お惣菜とかは、この際全部電子レンジ内で保存。チンする時だけ取り出す。うん、電子レンジの運用として、間違いなく間違ってるな。

 そうなると、次に狙われるのがゴミ類。可燃ごみや生ゴミは全て蓋のできる金属容器に。流しの排水口には蓋を。これで表面に露出している餌はなくなったはずだ。

 と安心していたのもつかの間。奴等には小さいなれど牙がある。壁もプラスチックの容器も破れない貧弱な牙ではあるが、それでもビニール包装は破ることが出来る。やられた…紙包装のスティックシュガー、パウチ包装のウスターソース、簡易包装のカレー粉、漢方薬の小青竜湯などなど、結構食われた。

 …ん?小青竜湯!? ちょっ…えっと…どういうことよ。というか、リンゴもオレンジもひとかじりしかしてないネズミさんが、小青竜湯は一包まるまる全部喰いやがった。どういうことなのよ…と、薬学部の友人にメールで確認。曰く、やつらの好みは未知数です、とのこと。むぅ…。ほんのちょっとだけネズミの好き嫌いについて実験してみたくなる衝動を必死で抑えて、台所じゅうのビニール包装調味料を、蓋ができる棚に移動。缶詰とビン類しか残らない台所を見て、これで一安心。

 次。「2.」の侵入経路。具体的にはネズミの出入りする穴をふさぐべし。幸い赤外線投光が出来るビデオカメラが中古でお安く売っていたので購入。遭遇したネズミが逃げていった辺りを徹底捜査。あ…あった。つか、結構な大穴。そして、その近くの壁から不自然に生えている新聞紙。ふむ…以前の住人が塞いでいった痕跡かな。つまり、新聞紙を詰め込んどきゃとりあえず大丈夫ってことか。よし、先人に倣おう。というわけで、3箇所ほど穴埋め。残り1箇所、洗濯機の裏あたりに穴があるっぽいが、こちらはちょっと手が出せない。あと天井裏もちょっと手が出せない領域か。

 手が出せないなら忌避の方向で。ここで「3.」を使う。なんでも鼻が効かなくなるとかでネズミはこの強烈な匂いを嫌うとか。故にネズミ忌避用にハッカ臭のスプレーだとか置物なんかは多々あるのだが、いまいち効果が出ていない。スプレーの注意書きを見るに、スプレーしても忌避効果は6時間だか8時間だかだそうな。つまり、寝る前に一吹き、朝起きて一吹きで…むぅ。仕事から帰ってくるまで持たないのか。

 既存商品でダメなら、創意工夫で何とかするしかない。ここでいくつかの「ハッカ装置」を用意することになる。まず、ハッカ臭の元を用意。これは、薬局で局方のハッカ油が売っている。夏場でも風呂に一滴垂らすと死ぬほど寒くなると一部で有名なアレである。では、その臭いをどうやって拡散させるか。ハッカの精油を拡散させるとなると…なんだ、簡単じゃないか。幸いなことに昨今、アロマがどうのこうのと持てはやされている。アロマディフューザーも多数販売されている。というわけで、居室に一つ設置。ハッカの臭いは上方への拡散が容易なようで、天井をネズミが走り回っている時にこれを炊くと一瞬だけものすごく元気…というか、大慌て的な雰囲気の足音になり、その後外へ逃げたのかしばらく寄り付かなくなる。

 さらに第二のハッカ装置。タイマーつきで間欠出力機能のある物を購入、残されたネズミ穴の近くに設置。可能な限り常時これを起動させておく。こちらも徐々にながら、ネズミの出没回数が減ってきた。

 そして、第三のハッカ装置。ハッカ油の揮発は早い。故に、何かで包み込んでゆっくり発散させないと効果が持続しない。というわけで、水耕栽培用の、水を入れると膨らむゼリー状の物を買ってきて、ハッカ油を中性洗剤で溶いて水で薄め、ゼリーに吸わせてネズミの通路に置いてみた。これなら臭いは弱いながらも、ある程度の期間は持つはずだ。臭いが弱い分は、ネズミの通る場所にピンポイントで置くことでカバー。こちらもそこそこの効果があった模様。だが…ハッカ油が拡散しきった頃に、そのゼリーを何粒か食われた。むぅ…薬学部の友人が言っていた事通り、奴等の味覚はホントに謎だ。ミントグミか何かの感覚で食われたのだろうか…。

 オマケとして、「4.」の寿命の話。とりあえず拙宅に侵入してくるネズミは1匹だけの様子。なら寿命を待つという選択肢があったかもしれないと思って薬学部の友人に聞いてみたのだが、それだけ生きるなら、待つものちょっとなぁという感じである。というか…小生が学生の頃はどこぞのP4施設でああだこうだと言ってたのだが…今じゃ普通の薬学部生から、さらっと遺伝子いじったらどうこうという答えが帰って来るのか。技術ってのはどんどん先へと流れてるんだなと実感した次第である。まぁ、小生が学生って事は、その薬学部の子は生まれて間もない頃なので…当然っちゃ当然か。

 何はともあれ、色々やってみたおかげでネズミとの遭遇回数もかなり減ってきた。うん。すべてが終わった訳ではないが、とりあえず一安心くらいにはなった模様である。うむ、一応の戦果といっていいだろう(ハッカの匂いだらけになった部屋はとりあえず無視しつつ)。
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2012年07月06日

チューニング

 よく、いろいろなOS…というか、ことWindows系がよく検索に引っかかるのだが、あちこちにOSの高速化と称していろいろな手順を紹介しているページがある。小生も一時はずいぶんお世話になったというか、ぶっちゃけWindows95とかその頃だと、OSに対してCPUのスペックが明らかに足りないせいで、その手のことをやらねばまともに動かなかったという事実もあるので、ないがしろには出来なかったというのもまた事実である。そういや、それとは別にその手のチューニングをして一生懸命安定させてやらないとすぐ転ぶWindows Meなんて駄々っ子も居たなぁ。

 ……はっ。思わず遠い目をしてしまった。確かに当時はそうやってメモリやディスクの1KByteでも空けなければいけなかった。では、今はどうであろう。

 チューニングだの高速化だのといったページを見ると、現在でもアイコンを消す系の方法を見る。確かに、それによって確実に起動が早くなり、ディスクやメモリの容量も空く。では、と改めて自分に問い直す。その「確実に早くなる」は実際に何百分の1秒だ?空くのはメモリやHDDの何百分の1だ?

 きょうびのHDDの容量はと問えば1Tだとか2Tだとかいう数字が平気で飛び交う世界である。仮にアイコンファイルが1KByteとして、これを削除してどれだけ容量が空くか。既に桁が違うというか、単位の接頭辞が2つも違う。上で何百分の1だとか言っていたが、予想が完全に甘かった。お恥ずかしい。もはや、百万分の1とか、そういう世界である。メモリですら2G4G当たり前の世界ゆえ、こちらも千分の1オーダーの世界であろうか。わはは、上段で小生が言った何百分の1は、ここでも甘かったか。速度面でのアドバンテージは計測していないが、CPUやGPUのクロックから考えるに、やはり微々たる物ではなかろうかと推測できる。

 では、こうした高速化やチューニングは無為不要の物であろうかと問われれば、それは否である。ほぼ無意味といえる事象を一つだけ取り上げて、その全てに意味が無いと称するのは詭弁であり詐称や詐欺の手法である。小生がそういった手管を好むのは事実だが、それを好むがゆえにそれをよく知るわけで、だからこそここではやらない。

 話がそれたか。この手の高速化のうち、いくつかは体感レベルで効果があるケースもある。特に、遅いマシンを使用している時には、この「体感」という尺度は大きい。処理の待ち時間が10秒から5秒になるのなら、それはもう万々歳であるし、5秒まで届かずとも、7〜8秒になるだけでも「あ、少し早くなった」と感じる事は出来るだろう。しかし、これが10秒から9.95秒になったとして、早くなったと感じる事が出来るだろうか。わずか0.05秒という、何かの蒸着速度ほどの時間を必死になって短縮する意味がどこにあるのだろうか。これくらいの時間の遅れ、待ったという感覚すら人間には与えないのではなかろうか。

 この手の行為は、ある一線から先は手段と目的が逆になるケースが多いように思われる。実際のところ、体感出来ないレベルのチューニングをしても、多くの人にとってはあまり大きな意味があると思わなくていいだろう。故に、色々やってみた上で早くなったと感じた物だけを実行し、残りは必要なら戻すなり不要ならそのまま放置するなりでいいのではないかと思う次第である。

 とはいえ、この手段と目的を逆にしてしまった挙句に、それをとことんまで突き詰めた多くの先達があってこそ、この高速化のノウハウがあるのもまた事実であり忘れてはいけないことだと思うと同時に、小生も一人の技術者として、そういった方々に敬意を払いたいとは思う。少なくとも、体感できる高速化だけ実行するという行為は、そうした先達が頑張った結果の中から一番美味しい所だけを頂くに他ならない。

 ふむ…。こういう場合どうしたらいいのだろう。やはり、「いただきます」と感謝してから、美味しく頂いてしまうのが良いのではなかろうか。
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