2013年02月27日 23:48

要出典?

 ネットにて、ある新聞記事を読んでいてふと思った。あ、この文章ってWikipediaだったら「要出典」 タグがつくんじゃなかろうか…と。

 まぁ、こんな事を思ってしまう時点でだいぶネットという世界に毒されている小生ではある。そして、よくWikipediaは情報源としての信頼性に欠けるという意見も聞く。実際、「中立性」や「正確性」については誰でも編集ができる時点でWikipediaは劣るというのは自然な考え方である。だが、その「中立性」や「正確性」を『検証する』という点においては、世に言う「信頼出来る情報ソース」と比してもWikipediaは勝ることはあっても劣ることはないのではなかろうか。

 そう思ってしまったら、少しは調べてみないと気がすまないのが小生の性分である。とりあえず、Wikipediaにあるガイドラインを流し読み。ふむ、検証が可能なようにという目線で見れば、このガイドラインは(確実に実行されているのであれば)確かに有用なように思える。

 ならば、とそのガイドラインが頭に残っている状態で、とりあえずネットニュースの記事を読んでみた。

 むぅ。いかん。これ、ほぼ全文に「要出典」がつきそうな勢いだ。というか、海外メディアの『〇〇によると』的な表記以外でこれがつかないのは、記事の最後あたり蛇足として載っている記者の感想的な部分くらいだろう。まぁ、その部分は間違いなく「独自研究」のタグがついてしまうわけだが。

 いや、ほぼリアルタイムの記事に出展なんざつけようがないのも事実だろう。それはそれで、仕方ないのかもしれない。また、記事の検証性についての考え方が根本的に違う…というか、検証される事を全く考えていない世界だから、同じ土俵に乗せるというのは酷というものであろう。だが、小生が書いているこのページのような、それこそ独自研究レベルで個人の「考え方」を発表する場であれば検証性など論ずる必要もないだろうが、ニュースなどのような物はもうちょっと検証性を求められてもいいのではなかろうかという気もする。というか、ここまで出展となる物が明らかにされていないということは、もしかしたら記事についての検証される可能性を意図的に消しているのではないかとすら勘ぐりたくなってしまうくらいである。まぁ、ぶっちゃけ「誰2」タグや「独自研究」タグがついてしまうような、言葉を濁した内容や不明確な言葉、明らかに主観的な文言や内容が内容が記事中に散見されるあたり、この手のニュースとて検証性という意味においては小生の書き散らす駄文と大差ないのかもしれない。

 何はともあれ、この目線は面白いかもしれない。少なくとも、何かを疑う時にこの「要出典」の考え方は、非常に有効である気がしてきた。あるいは、何かが「疑われずにすむため」の検証にも使えるかもしれない。

 で…調子に乗ってネットニュースを見ながら「要出典」と頭のなかで繰り返していたら、何かを思い出した。あぁ…そうだ。あれだ。アンサイクロペディアの「要出典」だ。現状の新聞記事って、たぶんあのページと同じくらいの「要出典」タグがつくんじゃないかなぁ。
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