2012年10月01日 00:00

先の裏側

 世の中には、良かれと思ってやった事が裏目に出るという事がよくある。まぁ、その「良かれ」と称するものが単なる独り善がりであったために困った結果になったという事もよく見かけるし、思い自体は良い事であっても「やった事」が全く先を考えていなかったため悲惨な結果となったという例もよくあるのだが、今回はそういった、ちょっと考えたら間違ってるのがわかるだろう的な物は除外したい。

 良かれと思って行動し、偉大なる成果を上げ、それでも悲惨な結果となったと本人が悔いたと言われる例としては、ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルあたりが有名であろうか。運送中や使用時に事故が起きないような「安全な爆薬」を作ろうと研究し、ダイナマイトを開発し、その後それが戦争に使用されて多くの人の命を奪った事を悔いてノーベル賞を立ち上げる遺言を作ったとか。いや、本当に悔いてそれを行ったかどうかの明確な記録があるかは微妙だが…一説によるとかつての片思いの相手が平和主義者で、それに感化されて平和賞を作ったなんて話もあるくらいで…まぁ、事実がどうかはともかく、少なくとも「安全に使用出来る」物を作った結果、「より効果的に人を殺す」手段を作ってしまったという意味では裏目に出たと言えよう。

 で…裏目に出るという意味での類似の話として、小生は「医学」を挙げたい。ぶっちゃけ医学とは、人ができるだけ死なないようにするための学問である。個人的にこれはとても尊い事であり、必要な事だと思う。小生自身、今この瞬間に人並みに生きていられるのは、かつて心臓を手術したおかげであり、その意味からもこの分野の成長に感謝する立場にあるのは間違いない。

 では、それがなぜ裏目に出るか。非常に単純化した図式であれば、医学の進歩によって寿命が伸びるという事は、結果として高齢者の割合が増えるという事になる。他にも原因は多々あれど、現在囁かれている高齢者関連の問題というのは、医学の進歩によってもたらされた結果の一つとも言えよう。

 人が長生きする。長生きするのはいいが、では健康なまま長生き出来るかと問われれば、これはかなり難しいというのが現状であろう。また、死ぬはずの怪我や病気をした人が、入院あるいは通院することで生き続けるようなケースも多々ある。つまりは、医学が未発達な時代であったなら死んでいた人が、そのまま医学の世話になりながら生き続けるという状況である。しかも、人が死ににくくなれば死ににくくなるほど、こうした人々は増えるはずである。

 このような形で長生きする人が増えると、結果としてどうなるか。一人の人間が生涯にわたって医療に費やされる内容は、医学の進歩とともに増えるはず…少なくとも確率的にはそうなるはずである。そして、医療にかかる単価が変わらない限り、この内容に比例した費用もかかってしまう。個人のみの支払いなら金の切れ目が命の切れ目となるが、保険などでこれを補助、負担した場合は当然その負担の総量も医療の進歩とともに高くなるのは明白である。

 当然、医学の進歩でこれにかかる単価が下がったりする見込みもあるわけだし、他にも色々な要因が絡んで来るのは当然であるが、まぁ現状の高齢者問題を見る限りでは大枠としてこんな方向だろうか。

 いや、だからって医学の進歩を止めろとか、高齢者を補助するなとか、そんな事を言うつもりは小生全くない。むしろ、これから高齢者枠に向かう小生の立場からするに、もっと頑張れ的な目線で見るべきかと。

 じゃぁどうすればいいのだ…という話になるのは当然である。とはいえ、小生は医学の専門家ではないので、具体的にどうこうとも言えない。かと言って、どっかのマスコミさんのように文句を言うだけ言って終わりというのも芸がなさすぎるか。でもホント、どうしたらいいのだろう。

 個人的に一つ思うのは、大抵の病気は早いうちの方が症状も対処も軽くなる点に注目するべきかな、という事である。風邪とか、引き始めに治してしまえば症状も軽いうちに終わり、期間も短い。当然、薬代も少なくて済む。うん、これだ。全部が全部この方法で安くならないのは確かだろうが、案外いけるんじゃなかろうか。少なくとも、この方法で薬代が少なくなるなら、日本の保険制度のような割合負担の場合には自分の懐にも優しいはずだ。

 よし。自分の懐のためにも、お国の予算削減のためにも、調子の悪い時は早めに医者に行く事にしよう。
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