2012年08月17日 00:00

八月虻い

 言葉という物は、時代とともに変化する・・・という説がある。だが、変化の源はそれだけであろうか。時間経過による変化は、発音しにくい組み合わせが発音しやすい形に変化するだとか、そういった簡略化や表現の容易化が多くなりそうな気もする。では、時間以外の要因は何かと考えると、最も明快なのは「新たな概念」が出来た時であろう。

 新たな概念とは、わかりやすい例えを出すなら「新たな名詞」ができる時であろうか。つまりは、世の中に「コンピューター」なる物が出来た時、言語は相応する名詞を必要とするわけである。昨今の日本語では、特に諸外国で作られた概念に対する対応は、片仮名を使用することで容易に対応できる。これは、言語的にはものすごい強みなのではないかと思ったりもする。

 かといって、では外来語は全て片仮名かというと、案外そうでもない。例えば「万有引力」という単語は、日本に輸入された論文を和訳する時に考えだされた言葉だという話もあるし、先にあげた「コンピュータ」にしたって「電子計算機」という日本語がある。

 いずれにせよ、言葉という物が仮に変わらないような性質の物であれば、古来の日本の言葉を今でも我々は用いているはずだという話になる。そして、実際には「古文」を学校で習わねば、当時の文書の意味を読み取る事すら難しい程まで変化しているわけであるから、単純にこれだけの事象をとっても、少なくとも時間経過によって言葉という物が変化することは証明する事が出来る。

 ところで、時間経過でも概念でもなく、突発的に言葉が発生することがある。有名なところでは「うるさい」という語に「五月蝿い」という文字を当てた例であろうか。確か、夏目漱石であったか・・・一人の小説家の、一遍の話にあったたった一つの単語が、すっかり日本語として定着してしまった物である。夏目漱石は当時から面白い言葉を使う人物と評されていたようで、他にも幾つかの「新たな単語」を現代に残しているとか。どこぞの新聞コラムが昨今の若者言葉を見て「乱れた日本語」などとわめき立てたりするが、漱石が作った言葉は良くて、若者が作った言葉は日本語として正しくないのか、そのどこに違いがあると言うのだ、と問いただしたい気もしないでもないが、何はともあれそんな感じで「誰かの考えた」言葉が世に出て定着してしまうケースもあるように見受けられる。

 で・・・その五月蝿いという単語だが・・・実は、先日とある露天風呂に入ってきた。季節柄、山地には「虻」が大量にいるわけで、おかげで風呂の周りにも虻が大量にいるわけで・・・。ヤバイ。これはマジヤバイってくらい虻にたかられて来た次第である。何が言いたいかと言うと、五月蝿は「うるさい」で済むが、八月虻は「うざい」とか「やかましい」とか、「うるさい」もう一段強い単語を割り当ててもいいのではないかと、心の底から思った次第である。いや、ホント勘弁してください。

 あぁ・・・何かいい虻対策ってないもんかなぁ。
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