2012年08月02日 00:00

神に代わる言葉

 古来、人知の及ばない所業の多くは「神」による物とされてきた。科学が進歩し、そうした所業の因と果が徐々に解明されてきた事により、神のせいではなく他の何か、はっきりした原因による物と判断されるようになってきた。

 人は、何か困る事象があればそれを排したいと考えるものである。否、それはおそらく人のみではあるまい。何にせよ、その事象を排すには、大きく分けて2つの方法しかない。つまりは、今あるその事象に対処するか、その事象の原因を何とかするか、である。よく風邪をひいて頭痛に悩まされるのであれば、頭痛薬で頭痛を鎮めるか、風邪を引かないように工夫するか、ということである。

 では、その「原因」を判断する時にどうするか。この方法は多岐にわたるからここでは詳しく語らないが、少なくともこれが「神のせい」であれば、その原因を排しようがない。神のせい以外ではどうか、と考えると、今も昔もその原因を、一見すると明確にしているようであって、案外そうでない…実は、昔から言う「神のせい」と、言ってることはさして変わらないな、という事が結構多いのではなかろうか。

 例えば、多分に偏見が混ざっている例ではあるが、黎明期の心理学などはそれに当たるのではないか。というのも、大抵の心の動きは最終的に「欲求不満」という物に行き着く。つまりは「欲求不満のせい」である。これは古来の「神のせい」と、さしたる差はないように思える。

 と、まぁ、前振りはこんな程度にしておいて。現代でもそういった物が割と身近にある気がしてならない。例えば、医学系。ぶっちゃけ、医者の知識の範囲で判断できない物は、「ストレス」「アレルギー」あるいは「生活習慣」といった物で片付けられてはいないか。そして、これらの単語を医者に言われて納得してはいまいか。我が身を振り返って、そう考える次第である。

 というのも小生のように40歳を超えると、人間色々と体の不調が出てくる訳である。で、医者にかかってみて、色々と言われるわけである。そして、ある医者と別の医者で、原因とする物が異なるケースが時々見られるわけである。そういった場合、片方が割と明確な説明をするのに対し、他方は「アレルギーかもしれません」「ストレスのせいかもしれません」的な説明をしている事に、経験上気がついた。

 いや、本当にアレルギー由来だったりストレス由来だったりする可能性を、小生決して否定する訳ではない。当然、専門家が専門的な知識を元に、そう判断する事もあろう。だが、そうではない場合も多分にあるのではなかろうか。

 例えば、専門の境界線付近…喉のように耳鼻咽喉科、口腔外科、内科(呼吸器内科など)といった専門の境界線が存在し、具体的に「喉のどこ」に原因があるかで専門家が違うケースなどがある。そういった場合今かかってる医者であってるかと考えれば、割と博打に近い確率ではなかろうか。または、内科や外科でもそれぞれ専門は多岐にわたるわけだし、最新の論文をどの程度まで追いかけているかでも知っている範囲は異なる。

 他にも、本当に専門分野ではない範囲で医者が対処しているケースだってあるかもしれない。咳が出るとして呼吸器内科にかかり、逆流性食道炎と診断されたとする。おそらくはそこで、胃酸を抑える薬を処方され、生活習慣によるものだから気をつけてねといった指導を受けるだろう。では、その胃液が逆流する原因は何か。それを考えるのに、仮に原因が胃にあったとすれば直接的な専門家は呼吸器内科ではなく消化器内科だろうし、骨格などによる胃袋の圧迫であれば外科的な話にもなるだろう。本当に生活習慣が原因だとしても、では具体的にどのような物を食べ、どのような食べ物は避け、どのような生活をし、会社などの要因でその理想的な生活が出来ない場合はどうしろ、といった事細かな指導を得ることが出来るか。小生がものすごく不運なのでなければ、小生の個人的な経験の範囲から考えるに、こういった原因から解決するための指導が得られるのはかなり幸運なケースではなかろうか。いや…我が身の不運っぷりには自信はあるけどさ…。

 何より自分のかかった症例が、その医者が知っている症例に当たらない可能性があり、その医者が必ずしも正しい判断が出来るとは限らない。これは、セカンドオピニオンという考え方が昨今では一般化している点からも明らかであろう。

 ここで、話は最初に戻る。わからない物の原因は何だと人は言うか。太古の時代は「神」と言った。裏を返せば、「神のせい」であるとされた物は「原因がわからない」という事に等しい。ならば、現代の医学…否、特定の医者に行って「神のせい」に通じる言葉が出てきた場合、それは暗に「原因がわからない」と言っている可能性を判断する1つの指標となるはずだ。上で小生は「ストレス」「アレルギー」「生活習慣」などを挙げたが、これに限らず明確に「これ」という具体的な説明がなされなかった場合、別の医者にかかってみるのも1つの手なんじゃないかな、と個人的に思うようになった次第である。

 くれぐれも…医者を疑えと小生は言っているのではない。だが、医者という立場上「わからない」と言い難いのもまた、事実だとも思う。故に、そこは患者の側でその意味を汲み取るのが、お互いのために良い関係なんじゃないかな、と個人的に思う次第である。というか、ぶっちゃけ小生が病んだいくつかの症例において、そういった経験があった、というだけの話なのであるが。

 本当は、医者が自分の知る範囲の中で「これとこれには当たらないですね、あとは私にはわかりません」と言ってくれて、それを元に他の医者を探すというのが、一番いい方法なんじゃないのかなぁ…とも思う。でも、初診料がかさむんだよなぁ。
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