2012年07月22日 00:00

ネカマ

 「ネカマ」なる言葉がある。正確な定義はともかく、ネット上にて性別を違えて成り切る行為である。とりあえずその良し悪しなどという不毛な話は横に置いといて、そもそも誰が最初に始めたのだろうとか考えてみた。

 そも、自己の性別と異なる何かに興味をいだき、それを演じるという行為に興味をいだくというのは、普通に生活していても多少はは見かけられる種類の人間の行動であるとは思う。そして、「顔」が見えず、日常の友好関係から完全に独立した環境であるからこそ、ネットでそれが実現できるのもまた事実であり、故にあとはそれを実際にやってしまうかどうかだけという点であることも理解できなくはない。故に、誰がという訳ではなくそれが自然発生したのであろうというのも、また理解出来る。

 では、ネット以前はどうだろう。個人が手軽に投稿できるネットより前だと、書籍の類となろうか。男性名の女性作家や、逆に女性名の男性作家は数あるものの、ならばそれが逆の性別を演じていたかと問われると案外そういった作品は少なかろう。というか、そういう書き方が出来る作品がそもそも少なかろうて。あるとして、手記、日記の類だろうか。ふむ…日記…。

 あぁ、あるではないか、日本の歴史に記されるほどの大物が。漢字は男性が、仮名は女性がつかう時代に、女の立場として仮名で日記を綴った男性がいたではないか。

 つまりは、紀貫之と土佐日記である。今から1000年以上昔の話である。中学だか高校だかで習ったはずだ。あれ…もしや、と思い、アンサイクロペディアで紀貫之を引いてみる。わはは、やはり小生如きが思いつくような事は、先達が考えているものなのだな。載ってるよ。最初のネカマとして。紀貫之。

 さて、なにはともあれ。紀貫之は歴史上、あるいは文学史上の偉人の一人として数えられている。では、それと比して現在のネカマさん達はというと、割と扱いが悪い。この差は何だろう。所詮は10世紀以上昔の人の劣化コピーだからであろうか。ふむ。確かに、顔だとか声を使えないが故に文章でのやり取りがメインとなるネカマさん達と、文章しか伝達手段がなかった当時の文豪。ともに、文字でしかやり取りする手段がないのは一緒である。ならば、片や女流文学の祖とも言える人であり、当時としては色々と斬新なことをたった一冊の日記でやってのけたすごい人であるのに対し、片や素人…それも低い側を見れば顔文字と文末のハートマークだけしか主張のない、面白みのない文章しか出てこない人たちまでいるわけで…。そりゃ比較にならない程の劣化コピーであろうて。しかもコピー元が1000年前。さすがにちょっとセンスが古すぎなのかもしれない。

 だが…と少し考えなおす。幾多のネカマさんがいらっしゃるこの世の中だ。多数の写本が作られた紀貫之に匹敵する人物もいるのかもしれない。当時の写本に相当するといえば、現代では「コピペ」だ。つまりは、あちこちで引用されるような言い回しを作ったネカマさんとかが居るなら、その人はそれなりには匹敵する存在であるかもしれないと言えよう。

 そう考えると、一人や二人そういった人が居るのかな…居るのかもしれない。いや、小生そういう方面にゃ詳しくないのでわからないのだが、そう考えると誰か一人二人くらいはそういった偉大なネカマさんがこの世の中にはいるのかも…なのかな?
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