2012年07月14日 00:00

星空

 夜、星空を見上げる。遠くに居て逢えない我が想い人も同じ星空を見上げているのだろうか、などと思う。もはや使い古されたと言っていいくらいの常套句であろうか。

 どれだけ遠く離れていても、見上げたその星空は同じであり、同じ物を相手も見てくれているかもしれないという期待は、小生もよく理解出来る。だが、そういった甘美な想いに、今この瞬間の小生はあえて笑止と言うことが出来る立場ではなかろうかと思う。というか、言ってしまう。笑止!!、と。

 なぜ笑止と言えるか。シンプルに答えるなら、小生の想い人が例えば関東にいるとして、ここしばらく小生はその人と同じ星空を見ることは絶対に出来ないからである。室内で夜勤?いやいや、そんな甘い物ではない。曇り空?全然足りない。もっと天文学的、あるいは物理学的な理論上レベルで、絶対に同じ空を見ることが出来ないのだ。それこそ天地がひっくり返らない限り無理なのである。

 答えを明かしてしまえば、案外簡単な「なぞなぞ」である。つまるところ小生は今、日本から見て地球の裏側にいるわけである。とはいっても、正反対のブラジルあたりならもしかしたら払暁や夕暮れの一瞬くらいは同じ星空を見るチャンスもあるかもしれない。が、今いるのはデトロイト。日本と同じ北半球の、しかも日本より高緯度である。

 この時期、北半球は夏である。一日のうち半分以上の時間は太陽が昇っており、星が見える時間の方が少ない。つか、夏至をちょっと過ぎたあたりであるため、一年のうちでも最もその傾向が強い時期だと言えよう。そして、12時間くらいの時差がある。これらを全て勘案するに、デトロイトと日本が同時に「夜」である瞬間は存在しないはずである。よって、デトロイトの小生と日本の想い人が同時に「同じ」空を見あげる可能性はありえない。まぁ、文字通りに天地がひっくり返ったらあるかもしれないが。

 では逆に、同じ星空を見上げられる幸せな距離はどこまでか。一方が夜明け前に空を見あげ、他方が日没直後に空を見あげて辛うじて同じ夜空、と言える範囲なら結構広いかと思われる。だが、実生活で考えるに遅くとも終電で帰るような時間以降は出歩く人はあまり居ないだろう。そう考えると夜8時から12時くらいとか、そのくらいの範囲でないとダメなのではなかろうか。そうであらば、自ずとその時間帯が重複する時差の範囲内に絞れるはずである。

 もう一つ。南北方向の移動はどうだろう。たとえば、日本とシドニー。時差はあまりないが、距離的には地球半周より少々短い程の距離となる。一方が夏の時、他方は必ず冬となることもあって、北半球で時差がある地域と比べても、同じ「夜」を共有する時間帯は長くなる。問題は、オーストラリアと日本で「星空が同じ」であるかという点である。

 一例をあげるなら、有名なオリオン座。北半球で腕を振り上げるオリオンは、南半球では足を振り上げ逆立ちしている。つまり、上下が逆に見えるというわけだ。実際、小生はオーストラリアでオリオン座を見たことがある。あれは、何というか、別物だ。「同じ物」という感覚が沸かない。いや、逆になってるというのは、よく見てよく考えればわかるのだが、そうやっていちいち考えてやっと「同じ物の逆むき」と認識出来るくらいである。

 さらに、あっちでは南十字星だのマゼランだの日本では絶対に見えない物が見える。逆に、北極星とか日本で当たり前に見える星が、あっちでは見えない。この辺を同じとして許容出来るか出来ないか。「同じ星空」と認識出来るか、あるいはダメであるか。そのあたりにかかって来そうである。小生的が実際に見た印象としては、こいつはまぁダメっしょ、というところである。

 要は何が言いたいかというと、星空を見上げて「あの人も同じ星空をみあげてるのかな」と思うのであれば、それはつまり同じ星空を見上げるほど「近い」距離にいる幸せを噛み締めるべきだということである。グローバルな今の世の中、同じ夜空を見れる地域は案外限られているわけである。

 そう、この記事は性格の悪い小生が、古くからの言い回しにケチをつけるための物ではなく、これを読んで星空を見上げた人が少しでも幸せになれるようにという、地球の裏側に居る小生からのメッセージなのである。…ということにしといてくださいな。
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