2012年07月06日 00:00

チューニング

 よく、いろいろなOS…というか、ことWindows系がよく検索に引っかかるのだが、あちこちにOSの高速化と称していろいろな手順を紹介しているページがある。小生も一時はずいぶんお世話になったというか、ぶっちゃけWindows95とかその頃だと、OSに対してCPUのスペックが明らかに足りないせいで、その手のことをやらねばまともに動かなかったという事実もあるので、ないがしろには出来なかったというのもまた事実である。そういや、それとは別にその手のチューニングをして一生懸命安定させてやらないとすぐ転ぶWindows Meなんて駄々っ子も居たなぁ。

 ……はっ。思わず遠い目をしてしまった。確かに当時はそうやってメモリやディスクの1KByteでも空けなければいけなかった。では、今はどうであろう。

 チューニングだの高速化だのといったページを見ると、現在でもアイコンを消す系の方法を見る。確かに、それによって確実に起動が早くなり、ディスクやメモリの容量も空く。では、と改めて自分に問い直す。その「確実に早くなる」は実際に何百分の1秒だ?空くのはメモリやHDDの何百分の1だ?

 きょうびのHDDの容量はと問えば1Tだとか2Tだとかいう数字が平気で飛び交う世界である。仮にアイコンファイルが1KByteとして、これを削除してどれだけ容量が空くか。既に桁が違うというか、単位の接頭辞が2つも違う。上で何百分の1だとか言っていたが、予想が完全に甘かった。お恥ずかしい。もはや、百万分の1とか、そういう世界である。メモリですら2G4G当たり前の世界ゆえ、こちらも千分の1オーダーの世界であろうか。わはは、上段で小生が言った何百分の1は、ここでも甘かったか。速度面でのアドバンテージは計測していないが、CPUやGPUのクロックから考えるに、やはり微々たる物ではなかろうかと推測できる。

 では、こうした高速化やチューニングは無為不要の物であろうかと問われれば、それは否である。ほぼ無意味といえる事象を一つだけ取り上げて、その全てに意味が無いと称するのは詭弁であり詐称や詐欺の手法である。小生がそういった手管を好むのは事実だが、それを好むがゆえにそれをよく知るわけで、だからこそここではやらない。

 話がそれたか。この手の高速化のうち、いくつかは体感レベルで効果があるケースもある。特に、遅いマシンを使用している時には、この「体感」という尺度は大きい。処理の待ち時間が10秒から5秒になるのなら、それはもう万々歳であるし、5秒まで届かずとも、7〜8秒になるだけでも「あ、少し早くなった」と感じる事は出来るだろう。しかし、これが10秒から9.95秒になったとして、早くなったと感じる事が出来るだろうか。わずか0.05秒という、何かの蒸着速度ほどの時間を必死になって短縮する意味がどこにあるのだろうか。これくらいの時間の遅れ、待ったという感覚すら人間には与えないのではなかろうか。

 この手の行為は、ある一線から先は手段と目的が逆になるケースが多いように思われる。実際のところ、体感出来ないレベルのチューニングをしても、多くの人にとってはあまり大きな意味があると思わなくていいだろう。故に、色々やってみた上で早くなったと感じた物だけを実行し、残りは必要なら戻すなり不要ならそのまま放置するなりでいいのではないかと思う次第である。

 とはいえ、この手段と目的を逆にしてしまった挙句に、それをとことんまで突き詰めた多くの先達があってこそ、この高速化のノウハウがあるのもまた事実であり忘れてはいけないことだと思うと同時に、小生も一人の技術者として、そういった方々に敬意を払いたいとは思う。少なくとも、体感できる高速化だけ実行するという行為は、そうした先達が頑張った結果の中から一番美味しい所だけを頂くに他ならない。

 ふむ…。こういう場合どうしたらいいのだろう。やはり、「いただきます」と感謝してから、美味しく頂いてしまうのが良いのではなかろうか。
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