2012年10月24日

これでいいのかな?

 プログラムの開発環境という物は、案外たくさんあると言える気がする。とはいえ、各言語で使用出来る…というか使用に耐えうる開発環境は、と問うと案外少ない。まぁ、愛用するエディタとコマンドラインベースのコンパイラで全てが完結するのであれば、それで十分と言えば十分なのだとも思う。とはいえ、各言語の専用開発環境という物は、昨今ではコード補完の機能がとても充実しているわけで…そっちを使ったほうが楽なのも事実である。

 で、専用エディタに乗り換えて、設定等を完全にお任せでやってしまうと、それはそれで時々困ったことが起きる。特に小生のように、自宅PCで、職場PCで、そしてそれ以外の場所にてノートPCで、といった具合に複数の環境、OSを使用する場合に色々と困ったことが起きるわけだ。

 一例として、Windowsの64bit環境だと、他のWindowsにおける「Program Files」が一部「Program Fils (x86)」というフォルダ名になっていたりする。故に、「デフォルトの設定で」インストールした同じアプリを立ち上げるにしても、呼び出し方が違ってしまう。

 小生、FlashやAdobe AIRの開発に「Flash Develop」を愛用しているわけだが、この問題が発生してしまった。32bit系で作ったプロジェクトでAIRアプリの開発していて、64bit系でプレビューをしようとした時に、エラーで弾かれるのだ。内容を見ると、flexsdkのツールが見つからないとのこと。

 結論から言うと、まずFlash Developは(x86)にインストールされる。で、件のプロジェクト内にあるパスの指定を見ると(x86)がない。だが、このプロジェクトは32bitでも64bitでもいじるので、どっちか一つに絞る事はできない。

 で…結果。SetupSDK.batの中身で、

set FLEX_SDK=C:\Program Files\FlashDevelop\Tools\flexsdk

とある物を、

set FLEX_SDK=C:\Program Files (x86)\FlashDevelop\Tools\flexsdk
if exist "C:\Program Files (x86)\FlashDevelop\Tools\flexsdk\*.*" set FLEX_SDK=C:\Program Files (x86)\FlashDevelop\Tools\flexsdk

という形に、下に1行置いてみた。早い話、(x86)があるなら、そっち用に環境変数を上書きしろというバッチのコマンドである。とりあえず、こんな程度の改変で動いているっぽい。

 まぁ、備忘録というか、万が一同じ状況で困っている御仁のためというか、そんな感じで…。
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2012年10月04日

つまらない事を望む

 「つまらない」という単語がある。語の正確な解釈は辞書とかにお任せするとして、一般に面白くないといった意味合いで使われる単語である。では、この対義語は何であろうか、と考えた時、単純に字面だけで見ると「詰まる」であろうか、という事になる。案外これは正解に近いらしく、「詰まるところ」の「詰まる」、要は最終的に行き着いた状態が「詰まる」であり、その行き着いた状態にならないが故に「詰まらない」という感じの由来だそうな。

 で…だ。話は変わって、詰まったのである。何がって、拙宅の洗濯機がである。この場合の「詰まる」は、行き着いた何かというような格好の良いものではなく、それこそ物理的に、フィジカルに、ホコリがみっちりと、もういっぱいいっぱいになったという意味での「詰まる」である。

 元より乾燥機能が詰まりやすいといった話は、ちらほらネットで見かける機種ではあった。昨日あたりから乾燥がやたらと遅くなり、昨夜に仕掛けた乾燥はほとんど乾かず、今朝仕掛けた物を仕事後に見たときは、完全に湿ったままであった。うん、故障だ。基本的に、この状態は故障と言っていい。たとえその原因がホコリが詰まっただけだとしても、症状的には明らかに故障だ。いや、もしかするとホコリ詰まり以外の原因…例えば加熱系の故障だとかいう、本当に故障だとしても詰まるところは故障である。あぁ、もう、書いてて自分でもわかんなくなってきたぞ。

 ともかく、だ。ネットで言われる通りに詰まっているだけなら、小生でも何とかなる。というか、早急に何とかしないことには、明日着ていく服がない。幸いなことに、分解して掃除するページもいくつか見かける。そして実は、検索で一番上に出てくるページの箇所以外にも詰まる場所があるらしいのを発見。ただ…よくある誰かの質問に別の誰かが答える系のページだと、どういうわけか最初に引っかかるページの内容を書いている人ばかりであり…いいのかこれで、とか思ってしまう次第でもある。

 で、その二番目以降に出てくる箇所を開けてみた。ふむ…うん。詰まってる詰まってる。乾燥用の空気が通るダクトを外すと、洗濯槽側にもうみっちりと…否、まるで低反発素材のクッションのような、柔軟剤をしっかり効かせてよく乾燥させたタオルのような、無駄なまでにふんわりとしたホコリの感触。いや、実際柔軟剤がかかった状態で洗濯乾燥した時の綿屑であり、役に立たない無駄な物体であるので、この表現はある意味正しいのだとも思うが…何はともあれ、そんな物体がみっちりと詰まっていた。

 −−−−考えるな、掻き出すんだ−−−−

 小生の頭の中で、誰かがそんな事を言ったのかもしれない。いや、言われずともそりゃ掻き出しますよ。掻き出しますとも。湿ったままのワイシャツで仕事先に行くわけにゃいきませんともさ。えい、これでもか、これでもか、これでも…か…?

 いや、比喩表現ではなく、文字通りの意味で「これでもか」というくらいの量の綿ぼこりが詰まっていた。具体的には、スーパーの食品コーナーにあるビニール袋に一杯分くらい。袋に入れてぎゅーっと押しつぶしても、小生の拳くらいの体積。ちなみに小生の手は男性としても大きい部類に入るサイズである。

 え〜っと…いや、ネジ1本外してパネル外してダクト外してといった、修理としては割と簡単な手間で出来る部類ではあるのだが、やっぱ再発は防止したいよなぁ。というわけで、平時から清掃用に取り外し出来る乾燥フィルターから水を流し込んでみる。案の定、その水は洗濯槽側に直接流れ込んでいる。ということは、こっちから水を流してやれば一応の清掃は出来るということか。ふむ…本当はケルヒャーの高圧洗浄機のオプションにある、排水管掃除用のノズルが使えればいいのだが、わざわざこのために買ってくるのもなぁ。いや、ケルヒャーさんは拙宅の押入れに鎮座しておられますので、1万前後くらいだったかで入手は出来るんだけどさ…。

 何はともあれ、一応ホコリは取り除いた。掃除の手順も、だいたい見えた。あとは試運転、という事で今に至るわけだ。まぁ、なんとか大丈夫っぽい雰囲気ではある。

 何かこう…こんな詰まらない理由で動かなくなるというのは、製品としてちょっと問題だよなぁ。もっと詰まらないような工夫はないのかしら。例えば掃除機のようなサイクロン機構で遠心分離してみるとか、そういった方法があったらいいよなぁ…。いや、流速的に厳しいのはわかってるんだけどさ…。
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2012年10月01日

先の裏側

 世の中には、良かれと思ってやった事が裏目に出るという事がよくある。まぁ、その「良かれ」と称するものが単なる独り善がりであったために困った結果になったという事もよく見かけるし、思い自体は良い事であっても「やった事」が全く先を考えていなかったため悲惨な結果となったという例もよくあるのだが、今回はそういった、ちょっと考えたら間違ってるのがわかるだろう的な物は除外したい。

 良かれと思って行動し、偉大なる成果を上げ、それでも悲惨な結果となったと本人が悔いたと言われる例としては、ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルあたりが有名であろうか。運送中や使用時に事故が起きないような「安全な爆薬」を作ろうと研究し、ダイナマイトを開発し、その後それが戦争に使用されて多くの人の命を奪った事を悔いてノーベル賞を立ち上げる遺言を作ったとか。いや、本当に悔いてそれを行ったかどうかの明確な記録があるかは微妙だが…一説によるとかつての片思いの相手が平和主義者で、それに感化されて平和賞を作ったなんて話もあるくらいで…まぁ、事実がどうかはともかく、少なくとも「安全に使用出来る」物を作った結果、「より効果的に人を殺す」手段を作ってしまったという意味では裏目に出たと言えよう。

 で…裏目に出るという意味での類似の話として、小生は「医学」を挙げたい。ぶっちゃけ医学とは、人ができるだけ死なないようにするための学問である。個人的にこれはとても尊い事であり、必要な事だと思う。小生自身、今この瞬間に人並みに生きていられるのは、かつて心臓を手術したおかげであり、その意味からもこの分野の成長に感謝する立場にあるのは間違いない。

 では、それがなぜ裏目に出るか。非常に単純化した図式であれば、医学の進歩によって寿命が伸びるという事は、結果として高齢者の割合が増えるという事になる。他にも原因は多々あれど、現在囁かれている高齢者関連の問題というのは、医学の進歩によってもたらされた結果の一つとも言えよう。

 人が長生きする。長生きするのはいいが、では健康なまま長生き出来るかと問われれば、これはかなり難しいというのが現状であろう。また、死ぬはずの怪我や病気をした人が、入院あるいは通院することで生き続けるようなケースも多々ある。つまりは、医学が未発達な時代であったなら死んでいた人が、そのまま医学の世話になりながら生き続けるという状況である。しかも、人が死ににくくなれば死ににくくなるほど、こうした人々は増えるはずである。

 このような形で長生きする人が増えると、結果としてどうなるか。一人の人間が生涯にわたって医療に費やされる内容は、医学の進歩とともに増えるはず…少なくとも確率的にはそうなるはずである。そして、医療にかかる単価が変わらない限り、この内容に比例した費用もかかってしまう。個人のみの支払いなら金の切れ目が命の切れ目となるが、保険などでこれを補助、負担した場合は当然その負担の総量も医療の進歩とともに高くなるのは明白である。

 当然、医学の進歩でこれにかかる単価が下がったりする見込みもあるわけだし、他にも色々な要因が絡んで来るのは当然であるが、まぁ現状の高齢者問題を見る限りでは大枠としてこんな方向だろうか。

 いや、だからって医学の進歩を止めろとか、高齢者を補助するなとか、そんな事を言うつもりは小生全くない。むしろ、これから高齢者枠に向かう小生の立場からするに、もっと頑張れ的な目線で見るべきかと。

 じゃぁどうすればいいのだ…という話になるのは当然である。とはいえ、小生は医学の専門家ではないので、具体的にどうこうとも言えない。かと言って、どっかのマスコミさんのように文句を言うだけ言って終わりというのも芸がなさすぎるか。でもホント、どうしたらいいのだろう。

 個人的に一つ思うのは、大抵の病気は早いうちの方が症状も対処も軽くなる点に注目するべきかな、という事である。風邪とか、引き始めに治してしまえば症状も軽いうちに終わり、期間も短い。当然、薬代も少なくて済む。うん、これだ。全部が全部この方法で安くならないのは確かだろうが、案外いけるんじゃなかろうか。少なくとも、この方法で薬代が少なくなるなら、日本の保険制度のような割合負担の場合には自分の懐にも優しいはずだ。

 よし。自分の懐のためにも、お国の予算削減のためにも、調子の悪い時は早めに医者に行く事にしよう。
posted by 管理人 at 00:00| Comment(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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