2012年07月24日

パケ死?

 先日の米国出張が終わり、帰国後にいきなり携帯にメールが。曰く、パケット料が1万円を超えたとのこと。おろ?どういうことだ?

 こういう時は慌てずに。孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからずである。敵の言い分はさておき、まずは己の状況を確認しようではないか。

 まずは海外での定額プランの確認。これは、出張直前にわざわざショップに出向いて、ちゃんと入ってる旨を確認済である。また、その定額プランが適用されるための操作方法も、同時にショップで確認をしてきた。そして、米国でその通りに操作をしていた…はずだ。だとすると、この辺で何かミスがあったとしたら、可能性は2つ。小生が操作を間違えたか、ショップの店員が何か誤解していて間違った事を小生に説明したかである。あるいは、小生が見落としている可能性がまだあるかもしれないのか。

 いずれにせよここまでの情報では、まだ推測の域を出ない。故に、次は敵を知る必要がある。ということで、通勤の途中でショップに寄ってみた。色々あって、今月の明細を確認してもらった所、確かに海外からの通信費用が加算されているものの、海外での定額プランの上限値で収まっているとのこと。早い話、普段よりはちょっと高いけど、全部定額の範囲内に収まっているそうだ。

 え?…ならば、何で料金超過まがいなメールが来たのであろうか。詳細を聞いてみたところ、早い話「国内でのパケット代(定額の範囲内)」+「海外でのパケット代(海外定額の範囲内)」の合計が1万円を超えたため、その旨の注意メールが送られてきたとのこと。

 あぁ…なるほどね…そういうことですか…。

 ……

 …………

 ………………

 えっと…それって、メールを送信する「しきい値」の設定に問題がないかな?両方定額の範囲内(というか、おそらくは両方上限いっぱい)なのに、警告メールが来るという設定は、普通に考えて絶対におかしい。まぁ、後からプラン足したり引いたりしてるから、こういう見落としが起きるんだろうけどさ。

 それはさて置き。余談ながら、海外でのパケット代がどのくらいだったか教えてもらえた。定額なしの場合の料金は、21万くらいだったそうな。まぁ、カーナビ代わりに使ったりしたから、確かにパケット数は多かったとは思うが…一週間程度でこの値段は、そりゃパケ死なる物が発生するわけだわなぁ。いや、むしろ逆に考えるべきか。この定額プランのおかげで、小生は20万弱くらい特をしているのだ、と。うん。ポジティブポジティブ、と。
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2012年07月23日

音源

 小生、プログラミングなる物を覚えてからかれこれ30年くらいになる。当時のBASICに始まり、処理の遅さに嫌気が差してPascal系のコンパイラに手を出したりアセンブラをいじってみたり、まぁひと通りやってみた感じである。で、今だにプログラムを組んでいたりするわけである。

 同時にコンピュータ系の音楽に対する興味も、かれこれ20年以上続いている。今でも手元にYAMAHAのDX7があるあたり、当時のFM音源で色々やっていた原体験から抜け出せないのだろうとも思う。というか、ぶっちゃけ何でも再生できる昨今のコンピューター系音楽って、楽器で出る「リアル」な音と同じ物を同じように扱えてしまうから、工夫というか職人芸というか、そういう要素がとても薄くなってしまったような気がして小生にとっては面白くないように思えるわけで。いや、確かに細かな工夫は今でも存在する。それは認める。でも、それは「音楽」としての工夫であって、「コンピュータ音楽」の工夫とはちょっと違うような気がしてならない。早い話、昔の音源数や解像度といった厳しい制限の中で、いかにそれをかいくぐるかという工夫や楽しみが、今のコンピュータを使った音楽には無い…というあたりが小生にとっては不満なのだろう。でも、音楽性とかとは全く関係ない要素だわなこれって。

 話がそれた。もう1つ、当時からコンピュータで音楽をいじっていた小生の心揺さぶる物に、「MML」なる物がある。音楽を「記す」方法としては一般的に「楽譜」が用いられるが、これをコンピュータ上で読み書きするのはプログラム的に色々と面倒くさいし、コンピュータが扱うためには無駄も多い。故に、「楽譜」ではなくもっと単純に「ドレミファソラシド」をテキストで書いてしまおうという発想の「言語」である。いや、もう少し正確には、英語で言う「ドレミファソラシド」、つまり「CDEFGABC」を並べるような物である。まぁ、和製のその手のシーケンサで「どれみふぁそらしど」表記の物があったような記憶もあるが…とりあえずそれは横に置いといて、とにかくそういう方法で楽譜を表現する物があったのである。

 あった…という表現は良くないかもしれない。実際、今でも確かに細々と残っている。わずかに残ったそれを…何の巡り合わせか、ネットで久しぶりに発見した。ActionScript…つまりはブラウザとかの「Flash」で色々やるための言語であるが、それで音源をコントロール出来ないかと色々探していたところ、「SiON」というライブラリにぶち当たったのである。基本的にMMLでFM音源をコントロールするという、何とも小生の懐古心をくすぐる物ではないか。ActionScript中でMMLを書く感じになりそうだが、サンプルプログラムとしてテキストボックスにMMLを書き込んで再生するという物があったので、試してみる。ちょちょいと思いつきのMMLを書いて再生っと。ふむ、これだ、これ。懐かしい感じの音。いや、どう考えても懐古以外の何物でもないのはわかっているのだが、まぁレトロブームっちゃレトロブームでもあるので、こんなのもいいんじゃなかろうか。

 というわけで、久々にちょっといじってみようかな…。
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2012年07月22日

ネカマ

 「ネカマ」なる言葉がある。正確な定義はともかく、ネット上にて性別を違えて成り切る行為である。とりあえずその良し悪しなどという不毛な話は横に置いといて、そもそも誰が最初に始めたのだろうとか考えてみた。

 そも、自己の性別と異なる何かに興味をいだき、それを演じるという行為に興味をいだくというのは、普通に生活していても多少はは見かけられる種類の人間の行動であるとは思う。そして、「顔」が見えず、日常の友好関係から完全に独立した環境であるからこそ、ネットでそれが実現できるのもまた事実であり、故にあとはそれを実際にやってしまうかどうかだけという点であることも理解できなくはない。故に、誰がという訳ではなくそれが自然発生したのであろうというのも、また理解出来る。

 では、ネット以前はどうだろう。個人が手軽に投稿できるネットより前だと、書籍の類となろうか。男性名の女性作家や、逆に女性名の男性作家は数あるものの、ならばそれが逆の性別を演じていたかと問われると案外そういった作品は少なかろう。というか、そういう書き方が出来る作品がそもそも少なかろうて。あるとして、手記、日記の類だろうか。ふむ…日記…。

 あぁ、あるではないか、日本の歴史に記されるほどの大物が。漢字は男性が、仮名は女性がつかう時代に、女の立場として仮名で日記を綴った男性がいたではないか。

 つまりは、紀貫之と土佐日記である。今から1000年以上昔の話である。中学だか高校だかで習ったはずだ。あれ…もしや、と思い、アンサイクロペディアで紀貫之を引いてみる。わはは、やはり小生如きが思いつくような事は、先達が考えているものなのだな。載ってるよ。最初のネカマとして。紀貫之。

 さて、なにはともあれ。紀貫之は歴史上、あるいは文学史上の偉人の一人として数えられている。では、それと比して現在のネカマさん達はというと、割と扱いが悪い。この差は何だろう。所詮は10世紀以上昔の人の劣化コピーだからであろうか。ふむ。確かに、顔だとか声を使えないが故に文章でのやり取りがメインとなるネカマさん達と、文章しか伝達手段がなかった当時の文豪。ともに、文字でしかやり取りする手段がないのは一緒である。ならば、片や女流文学の祖とも言える人であり、当時としては色々と斬新なことをたった一冊の日記でやってのけたすごい人であるのに対し、片や素人…それも低い側を見れば顔文字と文末のハートマークだけしか主張のない、面白みのない文章しか出てこない人たちまでいるわけで…。そりゃ比較にならない程の劣化コピーであろうて。しかもコピー元が1000年前。さすがにちょっとセンスが古すぎなのかもしれない。

 だが…と少し考えなおす。幾多のネカマさんがいらっしゃるこの世の中だ。多数の写本が作られた紀貫之に匹敵する人物もいるのかもしれない。当時の写本に相当するといえば、現代では「コピペ」だ。つまりは、あちこちで引用されるような言い回しを作ったネカマさんとかが居るなら、その人はそれなりには匹敵する存在であるかもしれないと言えよう。

 そう考えると、一人や二人そういった人が居るのかな…居るのかもしれない。いや、小生そういう方面にゃ詳しくないのでわからないのだが、そう考えると誰か一人二人くらいはそういった偉大なネカマさんがこの世の中にはいるのかも…なのかな?
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2012年07月21日

気温

 数日前。米国デトロイトでは120年ぶりの猛暑出会ったとか。仕事の都合でよく海外に行く小生も、さすがにこういった異常気象に出会うチャンスはなかなかないのであるが、ぶっちゃけ初デトロイトでこれに出くわしたもんだから、小生のデトロイトの印象は「暑い」でしかなかった。いや、冬になればマイナス20度とかになるそうなんだけどさ。

 で、猛暑猛暑と言うが、ここ数年では日本の夏だって負けてはいなかろう。先日、何度になるのよと仕事先で聞いてみたところ…「なんでも明日の気温、3桁行くらしいよ」とか。3桁って100度かよ…水、沸騰しちゃうじゃん、とか一瞬考えたが、いかんせんメートル法に従わない国の筆頭であるアメリカのこと。温度表示も華氏であった。

 摂氏と華氏の換算を即時に出来るほど小生は頭は良くない。良くないが、それでも華氏というものが人間の体温を基準にして定められており、その表記によると体温がだいたい100度弱という程度は知っている。風邪ひいて体温が100度とか、確かそんな感じであったような記憶がある。

 …って、待て。軽く37度超えてるんじゃねえのこれ!?もしかして盆地フェーンで気温が嫌ッハーになる関東の秘境、熊谷並の気温ってことか。待て待て待て待ておおおおおおちつけ小生。ここはデトロイトだ。ミシガン湖の横あたりだ。盆地とは違う。どっちを見ても平地ばっかりだからフェーン現象なんて発生しない場所だ。…って…平地で…フェーン効果なしで…その気温かよ…。

 というわけで、その酷暑に浸ってきた小生である。多くの人間にとって、暑い時はビールが美味い。うん。確かに飲みに行ったら美味かった。美味かったのだが、ちょっと気を抜くとあっという間にヌルくなる。ジョッキのビールが、である。どのくらい「あっという間」かというと、まだ泡が残ってるのに超ヌルいと感じるくらいである。うん、確かにこれはおかしい。洗濯してもすぐ乾くようにと思って登山用の帽子とズボンで行ったのは、暑さ対策の意味でも正解だったか。

 で…そんなデトロイトを経験した小生。熱中症にもかからずに無事日本に帰ってきたのはよかったのだが、なんだか寒い。気温が25度を超えても、半袖では寒いと感じる。むぅ、華氏100度に体が慣らされてしまったのか。なんだかこう…微妙に理不尽な何かを感じる次第である。
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2012年07月15日

遅い

 デトロイトの夜は遅い。いや、夜が遅いと言うと普通、日本語では夜更かしという意味を表現する言葉であるが、この場合の「夜が遅い」はちょっと意味合いが違う。日本語本来の比喩的な意味ではなく、文字通り「夜が来るのが遅い」である。より正確な表現をするのであれば、「日没が遅い」と言うのが正しいのであろう。

 子午線との位置関係、緯度、季節、サマータイム等など、日没の時間に影響する要素は多々ある。で、それがどれも日没が遅れる方向に作用するとどうなるか。極論してしまえば、夏至近辺の北極では日が沈まないわけであり、北欧などでも深夜まで明るい「白夜」という状況がある。そして、もう少し緯度が下がるとどうなるか。つまり、小生が今居るデトロイトの状況になるわけで…夕暮れが夜9時なのである。

 夕食を食べに出て、7時。まだ明るい。夕食から帰って来て8時。まだまだ明るい。部屋で一休みして9時。ようやく夕暮れ。日曜以外だと近所のショッピングモールが閉まるのが午後9時。あぁ、閉店だと店を出て、ようやく夕暮れ。そこから宿に帰ってみりゃ、まだプールで泳いでる人が居る。そして、そんな状況でも日本と同じく、朝4時半くらいいは日が出てる。

 えっと…その…何だ。これはなんと表現したらいいのだろう。小職程度の知識では、この状況ををうまく言い表せる単語が思い浮かばない。結局出て来たのは、「夜が遅い」である。こんなふうに、一般的な日本語でうまく言い表せない状況というのが、おそらく世界のあちこちにあるのだろう。そう考えると、やっぱり世の中広いんだなぁ。
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2012年07月14日

星空

 夜、星空を見上げる。遠くに居て逢えない我が想い人も同じ星空を見上げているのだろうか、などと思う。もはや使い古されたと言っていいくらいの常套句であろうか。

 どれだけ遠く離れていても、見上げたその星空は同じであり、同じ物を相手も見てくれているかもしれないという期待は、小生もよく理解出来る。だが、そういった甘美な想いに、今この瞬間の小生はあえて笑止と言うことが出来る立場ではなかろうかと思う。というか、言ってしまう。笑止!!、と。

 なぜ笑止と言えるか。シンプルに答えるなら、小生の想い人が例えば関東にいるとして、ここしばらく小生はその人と同じ星空を見ることは絶対に出来ないからである。室内で夜勤?いやいや、そんな甘い物ではない。曇り空?全然足りない。もっと天文学的、あるいは物理学的な理論上レベルで、絶対に同じ空を見ることが出来ないのだ。それこそ天地がひっくり返らない限り無理なのである。

 答えを明かしてしまえば、案外簡単な「なぞなぞ」である。つまるところ小生は今、日本から見て地球の裏側にいるわけである。とはいっても、正反対のブラジルあたりならもしかしたら払暁や夕暮れの一瞬くらいは同じ星空を見るチャンスもあるかもしれない。が、今いるのはデトロイト。日本と同じ北半球の、しかも日本より高緯度である。

 この時期、北半球は夏である。一日のうち半分以上の時間は太陽が昇っており、星が見える時間の方が少ない。つか、夏至をちょっと過ぎたあたりであるため、一年のうちでも最もその傾向が強い時期だと言えよう。そして、12時間くらいの時差がある。これらを全て勘案するに、デトロイトと日本が同時に「夜」である瞬間は存在しないはずである。よって、デトロイトの小生と日本の想い人が同時に「同じ」空を見あげる可能性はありえない。まぁ、文字通りに天地がひっくり返ったらあるかもしれないが。

 では逆に、同じ星空を見上げられる幸せな距離はどこまでか。一方が夜明け前に空を見あげ、他方が日没直後に空を見あげて辛うじて同じ夜空、と言える範囲なら結構広いかと思われる。だが、実生活で考えるに遅くとも終電で帰るような時間以降は出歩く人はあまり居ないだろう。そう考えると夜8時から12時くらいとか、そのくらいの範囲でないとダメなのではなかろうか。そうであらば、自ずとその時間帯が重複する時差の範囲内に絞れるはずである。

 もう一つ。南北方向の移動はどうだろう。たとえば、日本とシドニー。時差はあまりないが、距離的には地球半周より少々短い程の距離となる。一方が夏の時、他方は必ず冬となることもあって、北半球で時差がある地域と比べても、同じ「夜」を共有する時間帯は長くなる。問題は、オーストラリアと日本で「星空が同じ」であるかという点である。

 一例をあげるなら、有名なオリオン座。北半球で腕を振り上げるオリオンは、南半球では足を振り上げ逆立ちしている。つまり、上下が逆に見えるというわけだ。実際、小生はオーストラリアでオリオン座を見たことがある。あれは、何というか、別物だ。「同じ物」という感覚が沸かない。いや、逆になってるというのは、よく見てよく考えればわかるのだが、そうやっていちいち考えてやっと「同じ物の逆むき」と認識出来るくらいである。

 さらに、あっちでは南十字星だのマゼランだの日本では絶対に見えない物が見える。逆に、北極星とか日本で当たり前に見える星が、あっちでは見えない。この辺を同じとして許容出来るか出来ないか。「同じ星空」と認識出来るか、あるいはダメであるか。そのあたりにかかって来そうである。小生的が実際に見た印象としては、こいつはまぁダメっしょ、というところである。

 要は何が言いたいかというと、星空を見上げて「あの人も同じ星空をみあげてるのかな」と思うのであれば、それはつまり同じ星空を見上げるほど「近い」距離にいる幸せを噛み締めるべきだということである。グローバルな今の世の中、同じ夜空を見れる地域は案外限られているわけである。

 そう、この記事は性格の悪い小生が、古くからの言い回しにケチをつけるための物ではなく、これを読んで星空を見上げた人が少しでも幸せになれるようにという、地球の裏側に居る小生からのメッセージなのである。…ということにしといてくださいな。
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2012年07月09日

ラーメン

 タンメン、と呼ばれる食べ物がある。「炒めた」野菜をラーメンにたっぷり乗せた物であり、主に関東圏で食べられていた物である。いや、食べられて「いた」はおかしいか。今でも残ってはいるのだ。とはいえ、出す店がだいぶ少なくなったように感じる。

 いつからだろう、そして何故であろう、メニューにタンメンという文字を見る機会が減ったのは。いったいなにが原因で、この世に何が起きたからそうなったのであろうか。考えてみたところ、いくつかの事に思い当たる。一つは「炒飯」。ラーメン屋の炒飯もいつの頃からあまり見かけなくなった。そして、天津麺なんかも見なくなった。下手すりゃ餃子すら無い店もある。ふむ、この辺に何かあるのではなかろうか。

 さらに、いつから見なくなったかを考える。ラーメンを食べる場所が中華料理屋ではなく、ラーメン専門店にシフトしてきた頃からではなかろうか。

 あぁ…もしかして…と、一つの推測に至る。つまりは、誠に失礼ながらではあるが…世の多くのラーメン専門店さんは、炒め物が出来ないのではなかろうか。というか、ぶっちゃけ茹でる以外の調理が出来ないのではなかろうか。

 中華料理屋でタンメンなり天津麺なりを頼んで厨房を見ると、料理人が中華鍋なりフライパンなりを振るう。その場で調理し、調味し、麺を茹でる時間に合わせて具を完成させる。その手際たるや、いつ見ても見事なものである。

 では、とラーメン専門店を見ると、結局のところどの具を頼んでも麺をゆで、具によっては一緒に茹でるというか温め、盛り付ける。茹でるという行為は確かに調理の一種であるとはいえ、これは本当に「調理」と称していいのかな、という疑問が生まれる。まぁ、百歩譲って「調理」はしているとしても、「調味」はしていない。

 ここで、2つの見方を思いつく。1つは好意的解釈として、その場での調理を意図的に排したという解釈。つまり、麺は別途作っておき、スープも予め作ってあり、店舗では茹でる時間さえ間違えなければ同じ物が出来るという手法である。この考え方の利点は、短時間で客に物を出すことが出来、均一な味で、しかも価格を下げ、バイトだろうが誰だろうが作れるようにする、という方向性である。これは外食チェーン店、自動車、一部の建築現場などにも共通する考え方であり、要は「職人」を徹底的に排除し、誰でも失敗しない「システム」を作り上げることによって実現される。まぁ、ある意味、立食い蕎麦屋と全く同じ考え方の物である。というか、立食い蕎麦屋のラーメンこそ、まさにこの方法で昔から作られているではないか。まぁ…立食い蕎麦屋と比べると、ラーメン店ってすごく割高に感じるけどね。

 ではもう1つの解釈…こちらは、比較的悪意の解釈をしてみる。つまりは、こうだ。その場での「調味」を「しない」のではなく、「出来ない」という解釈である。要はキッチリ時間をかけて計量しないと味付けがバラつく、味見に自信がない、鍋を振る手際がない、そもそも「料理」が出来ないとか、出来たとしてもスープと叉焼を時間をかけて茹でる以外に能がないとか…そういう人が背伸びして作った店、という可能性である。うわ、我ながら嫌な解釈だ。何か勘違いした人が食べ物の店を出そうとした感じしかしない。というか、これってラーメン屋以外の食べ物屋では成立しにくいよなぁ…ハズレ料理人が出来る食べ物屋がつまりラーメン屋って理屈になってしまうのか。いやぁ…とある仕出し弁当屋とか超絶に不味かった例を小生は知っているわけで、ラーメン屋以外でもあり得るっちゃぁあり得るよな。

 何はともあれ、ラーメン関連の問答では素材にこだわり時間をかけて作ったスープです、みたいな話をよく聞く。が、その場で炒め物すら出来ない料理人がこだわったところで、失礼ながらどこまで出来るのだろうか。ふと、そういった怖い考えに思い至る。いや、ぶっちゃけ小生は貧乏舌である。よっぽどのことがない限り、たいていの料理は「不味い」という評価をしない。だが、それでは巷の多くのラーメンが「美味い」といえるかと改めて問われると、あれ…それなりに美味いとは思ったこともあれど、じゃあそれがものすごく美味いと思った事はないなぁ、というのが正直なところである。変だなぁ。蕎麦もうどんもスパゲティも、料理として美味いと思った記憶のの1つ2つは思い浮かべる事ができるのに、ラーメンが美味いと思う店はと考えると「ラーメン屋の中では美味い」という印象のものしか無い。

 いかん…。これ以上考えると、ラーメンは不味いものとしか考えられなくなってしまう。いや、ちゃんと料理出来る人が、省力化やコスト等を考えて炒め物を排しているケースだってあるだろうし、建屋の賃貸契約の関係で油汚れを出せないため泣く泣く炒め物を排した店もあるかもしれない。逆に炒飯やタンメンを作れる店が不味いケースだってあるだろう。だが…小生がここに書いたようなダメな店もたぶんある…というか、結構あるんじゃなかろうか。って、変にこうやって考えすぎるからいけないんだな。

 では、どうしたらいいのだろう。あぁ…そうか。中華料理屋でラーメンを頼むか、店頭でメニューを見て炒飯がある店を選べば、とりあえず小生の懸念はある程度解決出来るのか。ふむ…それはそれで手かもしれない。しばらく、そうしてみようかな。
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2012年07月08日

五香粉

 中華料理のスパイスの一つに、五香粉という物がある。香りの高い5種類(あるいはそれ以上)のスパイスを混ぜた物であり、ほんの一振りで香味の全てを中華風にしてしまうという恐るべきスパイスですらある。その意味ではごま油と同様の破壊力を持つスパイスであり…というか、これとごま油さえ投入すれば、小生の知る限りカレー以外のすべての料理は中華料理に生まれ変わるであろうと思われる。それほど個性の強い香辛料であったりもする。その材料の詳細はここでは省くが、材料の全てが香りの高い香辛料であり、単独で肉や魚の匂い消しに使われるような物ばかりである。中華料理のみならず、インド系の料理や飲み物のチャイなどにも用いられるそうな。

 では、と別の目線でこの材料たちを見直すと、不思議な事にいずれも健胃を含む胃腸系に効果がある漢方薬や生薬として記されている。香辛料や調味料を複合したものは洋の東西を問わず存在するが、これだけ薬効が一致しているものは珍しいのではなかろうか。というか、ぶっちゃけ漢方薬を調味料に転用したんじゃないのかなって推測してもいいよね、くらいの印象を受ける。

 ならば…と思ってネットで検索してみると、ああ…やっぱり。薬効的な物を求めている記事がたくさん出てくる。割としっかり書いてある物から、なんだか怪しい内容のところまで。まぁ、5種類の胃薬が混ざっていると考えればご利益もありそうなものだ。

 そもそも、普通に使っても余る調味料である。そのまま湿気させるよりは、別の目的として使ってしまえというのもまた一興であろう。幸いなことに、香りは強いものの味はさほど強くない香辛料である。花椒のピリッとした後味や桂皮の甘みがあるものの、量を間違えなければたいしたことはない。というか、味が露骨に変わる程まで五香粉を投入したら、それこそ香りは破壊的な物になろうて。

 ということで、物は試し。まずはお茶代わりに湯で溶いて飲んでみた。もちろん、溶く量はごく少しである。と…これが…まぁ好き嫌いはあろうが、個人的には案外いけると感じた次第である。先述の通り、ほのかな桂皮の甘味に加え、花椒のおかげでスッキリ感が残る。香りこそ某胃薬だが、案外悪くないと感じる。というか、五香粉の材料の多くは精油を取ってアロマテラピーにも利用されているわけだし、この香りも悪い物ではないのだろう。

 保温ポットに入れて机の傍らに。作業中、喉が渇いた時に一口二口飲んでみる。薄いながらも特徴的な味と強い香りが気分転換に思いの外良さそうである。そして無糖、ノンカフェイン、塩分もない。成分的には胃腸に良いのは確実として、それ以外の面でも体に悪くはなさそうな感じである。おろ…そう考えると、五香粉湯は案外いいのかな?

 とはいえ漢方薬だと考えれば薬は薬である。薬の飲み過ぎは必ず体を壊すわけで、これは漢方薬とて例外ではない。様子を見ながら、少しずつ…というのがいいのかもしれないかな。
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2012年07月07日

我が闘争

 拙宅には、ネズミさんが出没する。さすがに住み着いているわけではないので、通いのネズミさんのようである。そして外部から侵入してきては、台所だの天井裏だので悪さをして帰ってゆくのである。幾度が直接遭遇したが、サイズとか色から判断するにハツカネズミではないかと思われる。

 日本でハツカネズミと言うと、薬の実験で使われる白いアレを思い出す人のほうが多いのであろうか。確かにメディアに露出するハツカネズミというと、大抵は白い個体である。だが、あれは実験の結果がわかりやすいようにするため、意図的にアルビノ個体を増やして使用しているとか聞いたこともある。

 ところで小生は個人的に、モルモッ党員でありカピバリストでもある。要は、げっ歯類が割と好きな人種である。だが、ネズミの諸害は小生如きよりよっぽど専門的な記事がネット上にゴロゴロしている故ここでは記さないが、とりあえず共存出来る相手ではないのもまた確かである。とはいえ、ゴミの日の前夜以外にうっかり殺してしまったら始末に困るし、毒殺という手段を使って下手に敷地内で死なれても困る。ネコさんでも飼っていれば「猫殺」という手段を用いることも出来るかもしれないが、残念ながらそれも居ない。いや、一度は近所の野良猫さんが拙宅の横でネズミさんに遭遇したらしく、深夜に

「ガサッ!! ドタバタガサガサ」
「ヂューーーーーーッ」
「ぅにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
…………しーん

という大活劇の音が聞こえたりもしたが、どうやら拙宅の通いネズミではなかったらしくその後も現れているのである。

 では、どうやって対抗するか。否、いかにして戦うかである。戦うと決意した時に紐解くべき書物といえば、孫氏である。が…これは下手すると戦わない事を第一としているので、序盤は読み飛ばして…と。あったあった。孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず。己はというと、ズボラ、怠惰…という話は置いといて、一人暮らし故昼間は留守だったりとか台所は無人の時間が長いとか、そういう状況がある。つまり、敵の活動に有利な状況となっている。

 そして、敵を知る。昨今ではネットで大抵の情報は集まる。ダメ押しで、知り合いの生物系の奴にメールを送って聞いてみるか。ネズミの専門家というと…生物学部卒の友人が何人か居るから…って、あれ?海洋生物学だとか農業系だとか大腸菌の遺伝子改造とか、ネズミ関係なさそうなのばっかりだな。他には…えっと…あぁ、いたいた。現役薬学部!!どう考えてもハツカネズミの専門家(とんでもない偏見である)。

 というわけで、諸々の情報を総合。
1.食料目当てで活動しているので、食料となる物を放置しない。
2.とにかく進入路を塞ぐ。ハツカネズミは建物の壁を破る程の力はない。
3.ネズミはハッカの匂いを嫌う。
4.ハツカネズミの寿命は2年くらい、ただし遺伝子をいじるとだいぶ変わるとか。

 こうして、小生とネズミの闘争が始まった。

 まず「1.」の食料に関しては、まずは台所に出ている食料が囓られるのでこれを隠す。具体的には、とにかく冷蔵庫。保存の効く果物でもネギでも冷蔵庫。バナナもアボカドも冷蔵庫…に入れるのは悲惨な結果しか生まなかったので、なるべく買わない&少量買って食べきる方向で。お惣菜とかは、この際全部電子レンジ内で保存。チンする時だけ取り出す。うん、電子レンジの運用として、間違いなく間違ってるな。

 そうなると、次に狙われるのがゴミ類。可燃ごみや生ゴミは全て蓋のできる金属容器に。流しの排水口には蓋を。これで表面に露出している餌はなくなったはずだ。

 と安心していたのもつかの間。奴等には小さいなれど牙がある。壁もプラスチックの容器も破れない貧弱な牙ではあるが、それでもビニール包装は破ることが出来る。やられた…紙包装のスティックシュガー、パウチ包装のウスターソース、簡易包装のカレー粉、漢方薬の小青竜湯などなど、結構食われた。

 …ん?小青竜湯!? ちょっ…えっと…どういうことよ。というか、リンゴもオレンジもひとかじりしかしてないネズミさんが、小青竜湯は一包まるまる全部喰いやがった。どういうことなのよ…と、薬学部の友人にメールで確認。曰く、やつらの好みは未知数です、とのこと。むぅ…。ほんのちょっとだけネズミの好き嫌いについて実験してみたくなる衝動を必死で抑えて、台所じゅうのビニール包装調味料を、蓋ができる棚に移動。缶詰とビン類しか残らない台所を見て、これで一安心。

 次。「2.」の侵入経路。具体的にはネズミの出入りする穴をふさぐべし。幸い赤外線投光が出来るビデオカメラが中古でお安く売っていたので購入。遭遇したネズミが逃げていった辺りを徹底捜査。あ…あった。つか、結構な大穴。そして、その近くの壁から不自然に生えている新聞紙。ふむ…以前の住人が塞いでいった痕跡かな。つまり、新聞紙を詰め込んどきゃとりあえず大丈夫ってことか。よし、先人に倣おう。というわけで、3箇所ほど穴埋め。残り1箇所、洗濯機の裏あたりに穴があるっぽいが、こちらはちょっと手が出せない。あと天井裏もちょっと手が出せない領域か。

 手が出せないなら忌避の方向で。ここで「3.」を使う。なんでも鼻が効かなくなるとかでネズミはこの強烈な匂いを嫌うとか。故にネズミ忌避用にハッカ臭のスプレーだとか置物なんかは多々あるのだが、いまいち効果が出ていない。スプレーの注意書きを見るに、スプレーしても忌避効果は6時間だか8時間だかだそうな。つまり、寝る前に一吹き、朝起きて一吹きで…むぅ。仕事から帰ってくるまで持たないのか。

 既存商品でダメなら、創意工夫で何とかするしかない。ここでいくつかの「ハッカ装置」を用意することになる。まず、ハッカ臭の元を用意。これは、薬局で局方のハッカ油が売っている。夏場でも風呂に一滴垂らすと死ぬほど寒くなると一部で有名なアレである。では、その臭いをどうやって拡散させるか。ハッカの精油を拡散させるとなると…なんだ、簡単じゃないか。幸いなことに昨今、アロマがどうのこうのと持てはやされている。アロマディフューザーも多数販売されている。というわけで、居室に一つ設置。ハッカの臭いは上方への拡散が容易なようで、天井をネズミが走り回っている時にこれを炊くと一瞬だけものすごく元気…というか、大慌て的な雰囲気の足音になり、その後外へ逃げたのかしばらく寄り付かなくなる。

 さらに第二のハッカ装置。タイマーつきで間欠出力機能のある物を購入、残されたネズミ穴の近くに設置。可能な限り常時これを起動させておく。こちらも徐々にながら、ネズミの出没回数が減ってきた。

 そして、第三のハッカ装置。ハッカ油の揮発は早い。故に、何かで包み込んでゆっくり発散させないと効果が持続しない。というわけで、水耕栽培用の、水を入れると膨らむゼリー状の物を買ってきて、ハッカ油を中性洗剤で溶いて水で薄め、ゼリーに吸わせてネズミの通路に置いてみた。これなら臭いは弱いながらも、ある程度の期間は持つはずだ。臭いが弱い分は、ネズミの通る場所にピンポイントで置くことでカバー。こちらもそこそこの効果があった模様。だが…ハッカ油が拡散しきった頃に、そのゼリーを何粒か食われた。むぅ…薬学部の友人が言っていた事通り、奴等の味覚はホントに謎だ。ミントグミか何かの感覚で食われたのだろうか…。

 オマケとして、「4.」の寿命の話。とりあえず拙宅に侵入してくるネズミは1匹だけの様子。なら寿命を待つという選択肢があったかもしれないと思って薬学部の友人に聞いてみたのだが、それだけ生きるなら、待つものちょっとなぁという感じである。というか…小生が学生の頃はどこぞのP4施設でああだこうだと言ってたのだが…今じゃ普通の薬学部生から、さらっと遺伝子いじったらどうこうという答えが帰って来るのか。技術ってのはどんどん先へと流れてるんだなと実感した次第である。まぁ、小生が学生って事は、その薬学部の子は生まれて間もない頃なので…当然っちゃ当然か。

 何はともあれ、色々やってみたおかげでネズミとの遭遇回数もかなり減ってきた。うん。すべてが終わった訳ではないが、とりあえず一安心くらいにはなった模様である。うむ、一応の戦果といっていいだろう(ハッカの匂いだらけになった部屋はとりあえず無視しつつ)。
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2012年07月06日

チューニング

 よく、いろいろなOS…というか、ことWindows系がよく検索に引っかかるのだが、あちこちにOSの高速化と称していろいろな手順を紹介しているページがある。小生も一時はずいぶんお世話になったというか、ぶっちゃけWindows95とかその頃だと、OSに対してCPUのスペックが明らかに足りないせいで、その手のことをやらねばまともに動かなかったという事実もあるので、ないがしろには出来なかったというのもまた事実である。そういや、それとは別にその手のチューニングをして一生懸命安定させてやらないとすぐ転ぶWindows Meなんて駄々っ子も居たなぁ。

 ……はっ。思わず遠い目をしてしまった。確かに当時はそうやってメモリやディスクの1KByteでも空けなければいけなかった。では、今はどうであろう。

 チューニングだの高速化だのといったページを見ると、現在でもアイコンを消す系の方法を見る。確かに、それによって確実に起動が早くなり、ディスクやメモリの容量も空く。では、と改めて自分に問い直す。その「確実に早くなる」は実際に何百分の1秒だ?空くのはメモリやHDDの何百分の1だ?

 きょうびのHDDの容量はと問えば1Tだとか2Tだとかいう数字が平気で飛び交う世界である。仮にアイコンファイルが1KByteとして、これを削除してどれだけ容量が空くか。既に桁が違うというか、単位の接頭辞が2つも違う。上で何百分の1だとか言っていたが、予想が完全に甘かった。お恥ずかしい。もはや、百万分の1とか、そういう世界である。メモリですら2G4G当たり前の世界ゆえ、こちらも千分の1オーダーの世界であろうか。わはは、上段で小生が言った何百分の1は、ここでも甘かったか。速度面でのアドバンテージは計測していないが、CPUやGPUのクロックから考えるに、やはり微々たる物ではなかろうかと推測できる。

 では、こうした高速化やチューニングは無為不要の物であろうかと問われれば、それは否である。ほぼ無意味といえる事象を一つだけ取り上げて、その全てに意味が無いと称するのは詭弁であり詐称や詐欺の手法である。小生がそういった手管を好むのは事実だが、それを好むがゆえにそれをよく知るわけで、だからこそここではやらない。

 話がそれたか。この手の高速化のうち、いくつかは体感レベルで効果があるケースもある。特に、遅いマシンを使用している時には、この「体感」という尺度は大きい。処理の待ち時間が10秒から5秒になるのなら、それはもう万々歳であるし、5秒まで届かずとも、7〜8秒になるだけでも「あ、少し早くなった」と感じる事は出来るだろう。しかし、これが10秒から9.95秒になったとして、早くなったと感じる事が出来るだろうか。わずか0.05秒という、何かの蒸着速度ほどの時間を必死になって短縮する意味がどこにあるのだろうか。これくらいの時間の遅れ、待ったという感覚すら人間には与えないのではなかろうか。

 この手の行為は、ある一線から先は手段と目的が逆になるケースが多いように思われる。実際のところ、体感出来ないレベルのチューニングをしても、多くの人にとってはあまり大きな意味があると思わなくていいだろう。故に、色々やってみた上で早くなったと感じた物だけを実行し、残りは必要なら戻すなり不要ならそのまま放置するなりでいいのではないかと思う次第である。

 とはいえ、この手段と目的を逆にしてしまった挙句に、それをとことんまで突き詰めた多くの先達があってこそ、この高速化のノウハウがあるのもまた事実であり忘れてはいけないことだと思うと同時に、小生も一人の技術者として、そういった方々に敬意を払いたいとは思う。少なくとも、体感できる高速化だけ実行するという行為は、そうした先達が頑張った結果の中から一番美味しい所だけを頂くに他ならない。

 ふむ…。こういう場合どうしたらいいのだろう。やはり、「いただきます」と感謝してから、美味しく頂いてしまうのが良いのではなかろうか。
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2012年07月05日

冷凍

 コストパフォーマンスの面から見た時、冷凍食品というものは良いのであろうか。ふと気になった。いや、レンジで温めるだけの出来合い系冷凍食品なら、一部を除いては自分で作ったほうが安くなりそうな印象がある。とはいえ自炊の場合、ちょっと手をかけようものなら、あっという間に価格が上がってしまうのも事実。特に小生のように一人暮らしの場合だと、下手な調味料を買うだけで使い切れない程の量があったりして困るうえに、そういう調味料の価格分まで考えると原価としては結構な値段になってしまっていたりする事も多い。具体的には、「味覇」、テメェの事だよ!!

 …と、特定の調味料の事は横に置いといて、だ。こういった手間まで考えると冷凍食品もコスパ的には案外悪くないのではなかろうかと思うようになってきた。

 ではさらに話を進めて、素材としての冷凍食品はどうだろう?某業務スーパーなどで価格を見るに、冷凍肉とか冷凍野菜は生鮮品の安値と同じくらいの価格になっている。ここで小生が注目するのは、挽き肉である。というのも、普通に生で買ってくる挽き肉はあまり日持ちしない。故に、一気に使い切るか、残ったものを焼いてから冷凍しておくかの選択に迫られる。そして、たいていは前者を選び、食卓には肉多めの挽き肉料理が並ぶのである。いや、並ぶほど作んないけどさ、おかず。

 その点冷凍の挽き肉なら、いつでも必要な量だけ調理することが出来る。暖めた豆腐に出汁のあんかけをかける時なんかでも、ほんのひとつまみ挽き肉を入れたりとか出来る。生鮮品だと少量パックだってこんな細々とした使い方はなかなか出来ないことを考えるに、冷凍挽き肉はかなりアリだと思う。というか、同じ理由で冷凍肉は結構アリなのではなかろうか。

 では、次。冷凍野菜。これは、案外困る。解凍というステップを考えるに、生で何かする野菜には向かない。仮に冷凍レタスが売ってたとして、これを解凍してサラダにしてくださいとか言われても、どう考えたって困るだけであろう。いや、だからこそ売ってないんだろうけどさ、冷凍レタス。故に、必然的に冷凍の野菜類は火を通すことが前提の物となるわけだ。

 そんな中で案外重宝しているのが、ミックスベジタブル系と、みじん切りの冷凍タマネギ。前者は割と定番かと。チャーハンを筆頭に、何かと放り込んでは腹の足しに出来る便利野菜である。米国産の物が多いように思えるので、冷凍食品にありがちな中国産を警戒しながら食べるという胃に悪い事をしなくて済むのも一興かと。

 で、後者のタマネギのみじん切りはというと、カレーやらシチューやらに重宝している。鍋にこれと冷凍挽き肉をぶっこみ、炒めて、水なりトマトジュースなりホールトマトなりを投入して、あとはそれっぽい味付けとルーでも放り込めばカレーでもシチューでも何にでもなる。これを一人分でやろうとすると、少量パックの挽き肉にタマネギ1個が最低量となるので、案外具だくさんになってしまうというか、他の具が入る余地がかなり減ってしまうのである。いや、3日くらい食べ続ける覚悟があればそれでもいいんだけどさ。

 そんなわけで、余分に買い過ぎないというメリットを考慮するに、冷凍食品って思ったよりもコストパフォーマンスが良いのかもしれないと思う昨今であった。

 余談ながら。冷凍タマネギ+冷凍挽き肉+トマトジュース少々+粉末カレールーひとさじで、簡単にキーマカレーっぽい物が出来る。コメさえ炊いてあれば、ぶっちゃけレトルトのためにお湯を沸かす時間で出来ちゃったりする。案外おすすめである。
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2012年07月04日

エディタ

 ふとしたことで新規PCを数日前に導入した。もはやネトゲはおろか普通のゲームにすら手を出す余裕もない小生、もはや処理速度やグラボの性能など求める必要もない。故に安物で十分、と考えるとだいたい4万円程度まで価格が下がってきたおかげで、比較的気楽に新規導入ができるのは嬉しい限りである。

 そういえば一時期100ドルPCとか言ってたこともあったが、案外そこまで一般化しなかったな…。

 結局のところ選んだのは、3万弱でWin7-64bitの物。OS以外のソフトは入っていない。CPUはといえば、一部で話題のAMD E-350。デュアルコアながら低消費電力で、グラボの機能まで入っているという超割り切り設計。おかげで、ファンレスとまではいかずともかなり静かなPCが手に入った。仕事柄必要となるHDDは後日増やすかとか、メモリは別途買わなきゃとか色々あるっちゃあるが、まぁこれでいいのだ。

 で、環境一新に伴いいくつかの常用ソフトを入れ替えてみようかと試みた。ひとつは、IME。小生はいまだに「WXG」というIMEを使用している。もう何年も前に開発が停止した物であるし、制作会社だってとっくに潰れている。というかそもそも、これを「IME」と呼んでいいのだろうか。WXシリーズ当初の呼び方に従うのであれば「FEP」じゃないのかな…。まあ、それはさておき。新規に採用するIMEはとりあえず64bit対応で…と考え、結局はgoogle IMEに落ち着く。あれ?なぜか最初からATOKとMS-IMEが考慮に入ってなかったな。まぁ、カスタマイズが必須という小生の持病ゆえ仕方ないっちゃ仕方ないか。google IME、据え置きPCで使ってみるとこれが案外悪くない感じである。

 さらにもう一つ。テキストエディタも入れ替えてみようと試みた。元から使っていたものは、一部で有名であった「WZ」シリーズ。小生、DOS時代の「VZ」からの愛用者である。こちらも開発が停止して、別の会社が後継を出しているが…ナニカチガウ感があって、素直に移行できないままかれこれ数年。IMEとともに旧世紀の遺物を使用し続けていたといったところである。

 というわけで、このテキストエディタは大いに悩んでみた。

 小生のエディタのニーズは、2つ。いくつかの言語でコード入力がしやすい事、日本語で整形と箇条書きができること。前者を満たす物は多々ある。というか、海外物のフリーウェアで相当高性能な物がゴロゴロ転がっている。が、海外物は後者を満たし得ない。段落はじめの字下げ、行末行頭の禁則処理等、アルファベットベースでは有り得ないというか、そもそも考え方そのものが異なる日本語の文書整形である。ここは日本人による開発でないと厳しいというか、小生の需要を満たし得ない。

 で、結局はというと、サクラエディタを多少カスタマイズして妥協、という方向に現時点では落ち着いた。思った以上にWZの文書整形、特に箇条書き関連が強力だったんだなと改めて関心。

 小生の悪い癖で、実は覚え書きをテキストエディタに箇条書きにして書いてしまうのである。箇条書きにインデントをつけていけば、アウトラインプロセッサやマインドマップ等のルートから分岐していく表現方法と全く同じ理屈で思考の表現が理論上出来るわけだ。故に、ある程度高速なテキストエディタで、自動整形つき箇条書き機能があれば、こういった思考補助のソフトは小生にとっては不要となるわけである。というか、インデントをつけて考えてる事をそのままキーでタイプしていけば、見た目はともかくマインドマップが出来上がるわけで、それなら操作をいちいち覚えなければならない思考補助ソフトなど不要なのである。まぁ強いて言えば時々「図」が必要となることがある程度だが、これは別の思考補助だから良しとしよう。

 と…ここまで試行錯誤してみて、改めて気づく。コード記述用のエディタの他に、もう1個思考補助用のエディタを使えばいいんじゃなかろうか。いや…でも…そこまでやるなら、androidとかでも同期できるアウトラインプロセッサを探したほうが外でも風呂でも物事を考えられるわけで…。むぅ、それはそれでいいなぁ。探すか作るかしようかな。
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2012年07月03日

復活

 ここの記事の更新が途絶えてから幾星霜を経たであろうか。具体的には2年と半年近くである。幾星霜の「星」を夜の数と数えるなら、ざっと900ほどの星を数え、「霜」は…まあ、冬場のみと考えてざっと200回くらいという計算になろう。

 と、のっけから屁理屈と数字のこね回しである事は横に置いといて、と。まずはお久し振りでございます。ふとした心境の変化により、なんとなく不定期でブログ復活してみようかと思い立った次第にございまする。

 さて、そもそも何で更新が止まっていたか。この理由は単純明快。小生の不治の病のせいである。その不治の病とは、具体的には「面倒くさがり」あるいは「怠惰」と呼ばれる物である。

 この怠惰と呼ばれる病の起源は古く、歴史的にも4世紀頃のエジプトの修道士によって罪とされている事からも、少なくともこの時代に修道院が嘆く程まで世に蔓延していた事は明らかである。さらにそこから200年程経ってからも、かの有名なグレゴリウスさんによって七つの大罪の一つとして認定されてしまったあたり、その蔓延はとどまることを知らず収まる気配も見せずだったのではなかろうか。そして、それから15世紀程過ぎた現代でさえ、その大罪は修正されることがない。つまりこの病はそれだけの間衰えることを知らず、人の世にはびこり、人々の間に根付き、そして抜け出すことの出来ない「病」なのであろう。あるいは猫だのモルモットだのを見る限り、人間のみならず動物たちにも蔓延する病なのかもしれない。

 というわけで、治らない病は受け入れて付き合って行くしかない。成人病と同じである。故に、ブログ再開にあたってはこれを不定期更新とすることを明確にしておく。うん、我ながら言い訳である。

 再開にあたり、過去の記事及びコメントは削除させて頂いた。多くの友人に頂いた貴重な文面もあったのだが、単純に容量の問題が逼迫していたこともあり、かといって1000以上ある記事を今更読みなおして価値のある物だけを抜き出す作業も大変である。怠惰という不治の持病がある以上、この「大変な作業」を行うのはかなり難易度が高い。故に、いっそ思い切ってというわけで全記事を削除した次第である。

 うん…この不治の病という言い訳は、何かにつけて使えるな。

 さて、怠惰の件は横においておくとして。何かのきっかけでここを見る機会のあったかた。今後ともよろしくお願い申しあげまする。
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